2019年07月05日

副塾長,西日本豪雨により被災!!  -「思い出」が〈思い出〉になってしまった-






西日本豪雨(平成30年7月豪雨)から1年が過ぎました。
お亡くなりになられた皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。
また,豪雨被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げます。
中でも,現在,未だ復興の見通しをお持ちになることのできない方々が,一刻でも早く,通常の生活にお戻りになられますことを衷心よりお祈り申し上げます。


この度,そうした方々への哀悼の祈りとお見舞いの意をもって,西日本豪雨災害直後に認めていたブログ記事を投稿することといたしました。


私にとっても西日本豪雨は一生忘れることのできない出来事だからです。
なぜならば,当塾副塾長住本小夜子も被災者の一人であるからです。
















生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」の塾長 小桝雅典です。




この度の西日本豪雨災害に際し,お亡くなりになられた皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。また,被災された皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。




さて,当塾の副塾長 住本小夜子も被災いたしました。平成30年7月6日(金)午後7時12分のことでした。住本から,Skypeメッセージが入りました。
「確かに危ない!!」
「あと(川の氾濫まで)3メートルくらい!!」




午後8時10分,
「念の為に,避難の準備をしています。」









【平成30年7月6日(金)午後9時頃 広島県東広島市黒瀬町

自宅アパート前の道路の冠水】









午後9時31分,
「(避難先の)小学校に着きました。こども共々無事です。」




午後11時52分,
「(荷物を取りに一時帰宅した近隣の方に)状況を伺ったら,我が家はダメらしいです。」




午後11時53分,
「(床上)浸水です。」




住本の住居(2階建てアパートで,住本は1階に居住していた)は,広島県東広島市を流れる黒瀬川のすぐ傍で,川より一段下の低地にありました。この頃,道という道は既に寸断されていました。住本の住居の近辺では,2トントラックの天井部分だけが,泥で濁れた水面にかすかに見えたそうです。住本の住居の2階に住まう方々は逃げ遅れ,救助を待つことになりました。




住本一家を救いに行くことはできませんでした。居ても立っても居られないもどかしさだけが募りました。私は,川が氾濫したのだと思いました。しかし,後にわかったことですが,黒瀬川は間一髪氾濫を免れていました。




これも後にわかったことなのですが,住本が居住していたアパートのすぐ近くに,幅2メートルほどの農業用(と思われる)水路があり,そこから鉄砲水が押し寄せたのです。それは,小さなダムの放水のようでした。




注:住本を含め,アパートの住人やこの地に来て数年の方は,その水路の存在すら知りませんでした。被災後,鉄砲水の原因を調べた住本が用水路を発見しました。




それとともに,ただ滝のように容赦なく,怒涛のように叩きつける雨が,地面から溢れ返り,大きな大きな沼地をつくっていったのです。その後,住本一家は我が家に身を寄せることになりました。









【広島県東広島市黒瀬町 広島国際大学の裏山の地すべり 平成30年7月10日(火)午後3時49分 車窓より撮影】
















「アパートの管理会社から,引っ越し対象と言われたよ。しかも,引っ越しにかかる費用は実費で,全て自分(=住本)持ちだって。」




7月9日(月),
住本と私,2人だけの引っ越し作業が始まりました。引っ越しと言っても,まず新しい住処がありません。かと言って,仮に新しい住処があったとしても,運び込む荷物は殆どありませんでした。




近くの空き地は,日に日に,茶色い泥と青緑色のカビに塗(まみ)れた瓦礫の山を築いていきます。近隣の家々から運び出された家財道具等でした。









【家財道具が廃棄された空き地と瓦礫の山 平成30年7月18日(水)午後5時頃撮影】








じりじりと照り付ける7月の太陽が,肌をチクチクと差していきます。元の住処は泥と糞尿とを混ぜたような悪臭を放っていきます。まるで,ドブの中にいるようです。いつしか,身体はシャワーを浴びたようになり,頭はくらくらしていました。




元の住処のリビングに,いつの間に,どこから入ってきたのでしょうか,小さな青ガエルが一匹いました。でも,自分の意志では動けないようです。そっと,両手で掬い,泥交じりの湿地に帰してやりました。私にとっては,それが精一杯でした。









【リビングで見つけた青ガエル】
















「これを捨ててもいいのか・・・?」
「あれは空き地行きか・・・?」
「ホンマにこれも捨てていいのか・・・?」




住本は気丈に振る舞っていました。
「もう使えんよ。菌も付着しているだろうから,こどもが感染したら大変よ!! ええけん,捨てて!!」




思い起こせば,約1年前,2人の幼いこどもを抱え,シングルマザーとなった住本は,再起をかけ,この地に移り住んだのでした。その日から,一つひとつを紡いできた生活の「思い出」。その立役者となった品々が,今や変わり果てた姿となって,次々と空き地に積み重ねられていきます。




「ああ,こどものアルバムが・・・ 生まれた頃からの2人の写真が・・・ さすがにこれはきつい!!・・・」




こども部屋の床近くにしゃがみ込んだ住本の背中が,急に小さくなったように見えました。悪臭に塗れ,泥汁が垂れ出したアルバムの写真を,一つひとつ大切に,丁寧に脳裏に焼き付けるようにして,住本はページをめくっていきます。




「このアルバムの写真も捨てんといけんのんじゃろうね・・・」




あの気丈だった住本の声がかすれて聞こえました。その刹那,住本の丸まった小さな背中が滲んで見えました。
















「この一帯もやられたんか!?」
家財道具を空き地に運んだ帰り,軽トラに乗った見知らぬ年配の男性に声を掛けられました。




「ええ,この辺りは,一帯,床上浸水ですわ。」
「そうか・・・」
「なにもかも持って行かれました。」
「うちの集落では命を持って行かれたわい・・・」
「・・・・・・・・・・」




それまで伏し目がちだった男性と,初めて目が合いました。その眼には,みるみるうちに涙が溢れてきました。




「プー!!」




「ああ,後ろから車が来ましたよ。」
「おおう,ほんなら行くわ~。気を付けんさいよ!!」
「ありがとうございます。気を付けてくださいね!!」









【引き切らない泥水に浸かる元の住処(1階手前の部屋) 平成30年7月7日(土)午後1時頃撮影】
















ああ,暑い!! はあ,はあ,はあ・・・
ううん? ・・・ あの年配の男性,何をやっているんだ!? まさか物色か!? 被災者の面前で物色か!?




被災者はみな項垂れて,家財道具をこの空き地に運んでいる。一つ運ぶたびに,一つの「思い出」が野に化していく。その真っ只中で物色か!? あまり汚れていない,金目の物ばかりを軽トラに運んでいる!!




注:私のモットーは「正確に〈事実〉を見極めて,物事を判断する」です。しかし,この折には,冷静さを欠いていました。「物色」か否か,確かめてはいないのですから。ですが,私にはどうしても「物色」に見えたのです。




それはあんまりだろう・・・
被災した方々が,その男性を淋しい眼差しで見つめているじゃないか!! さっきまで,我が家にあった家財道具が,今は軽トラの荷台の上か!!




西洋思想の知的操作に回収された現代の日本では,そりゃあ,空き地に捨てられた家財道具に,最早「所有権」はないのだろう・・・
それにしても,感情的に許せない!!




これを「その人」の問題として捉えていいのか!? 「学校教育」の問題ではないのか!? そうではなくて,「教育」も,「人」も,「時代」も,全て融合された問題なのか!?




サッカー観戦後や選手ロッカールームの後片付け,被災後の礼儀正しい対応など,日本の品格を伝える報道は数多い。確かに,「誠実の美徳」を備えた人々が相対的に多いのが日本なのだろう。しかし,飽くまでも,「相対」の問題であって,「総体」ではないのだ。世界中の人々が「相対」を「総体」と勘違いしている現代日本の現況があるのではないか?




〈教育〉は,マスコミなどから得る情報をきちんと〈相対化〉できる力を育成しなければならない。喫緊の課題だ。そうしなければ,〈真実〉を見失うぞ!!




〈真実〉を見失えば,偽善と偏見は世にはびこり,〈誠実な人〉は傷ついていく。〈真実〉を見ようとしなければ,誠実に生きていくための課題発見はおぼつかなくなる。その結果,こどもたちへの「教育」は行く先を見誤ってしまう。




ああ,何を考えているんだろう・・・? こんなときにも〈教育〉のことを考えているなんて・・・ ああ,暑い。頭が朦朧としてきた。
















7月16日(月),
なんとか定めた新居に,とりあえず生活ができるだけの物資を搬入することとなりました。




住本は,少しは落ち着いてきたようです。避難所となった,息子さんが通う小学校の体育館での一場面を私に語り始めました。避難したばかりの頃のことです。




住本から提案し,東広島市職員,小学校の教頭先生,自治会関係者及び住本当人との間で,避難後,常時,情報共有をすることにしたそうです。その第1回目,自治会関係者が,特に住本に話されたことです。




「住本さんが住んでおられたところはのう,昔から水害がよくあったところなんよ。その地域に限った話ではなくてのう,引っ越し先を定める時には,その地域性をよく調べ,確かめておかんとのう。地元の人に訊くのが一番よ。」




7月17日(火),
片付けがもう少し残っていたため,住本と私は元の住処の駐車場に降り立ちました。向かいの一段高くなった盛り土に立派な家を構えておられる,そこのご主人が庭に出ておられ,私たちに声を掛けてくださいました。一段高いと言っても,そのお家も浸水を免れてはいませんでした。




「もう(片付けは)終わられましたか?」
「ありがとうございます。まあ,なんとか。もう少しで終わるところです。」
「そうですか・・・この辺りは19年前にも水害がありましてね。ご存知でしたか?」
「いいえ。全く。」
「そうでしたか。その折にも,我が家は被災したのですよ。そして,今回も。一戸建てですから,どうしてもここを離れるわけにはいきません。私も,今回の災害後,つい先日知ったことなのですが・・・ この辺りを古くから『水越(みずこし)』というのだそうです。」
「『水越(みずこし)』!! 読んで字のごとくじゃないですか!!」
「そうなんです。それを早くから知っていたら,ここに家を建てることはありませんでした。」
「・・・・・」









【元の住処の周辺地域(旧称「水越」) 平成30年7月7日(土)午前6時頃 近隣の方より提供】
















住本は,元の住処を片付け始めた,その当初から,興味深いことを口にしていました。




「空き地などで会う見ず知らずの人たちに2タイプあるんよ。一つは,私を見て,厳かに頭を下げて通り過ぎるタイプ。もう一つは,私を見ても素通りするタイプ。私はわかったんよ。頭を下げて通り過ぎる人たちは,被災した人たち。素通りする人たちは,物見遊山な人たち。」




この言葉を聴いた私は,その後,空き地を初めとする,元の住処の界隈を,片付けの合間,観察し続けたのです。そして,一人こうつぶやきました。




「なるほど。」
















7月18日(水),
元の住処の駐車場を去る時でした。住本が,私からやや離れたところで,元の住処をぼうっと眺めながら,何かをぼそっとつぶやきました。私は思わず振り返り,住本の後姿を凝視しました。




「ここで1年間,2人のこどもとがんばってきた。こんな形で終わるとは思ってもいなかった。一つひとつの「思い出」が(ホンモノの)〈思い出〉になってしまった・・・・・。・・・・・でも,またこどもたちと3人で,新しい「思い出」をつくればええんよね。」




瞬間,私は住本に背を向け,青く潤んだ空を見上げるしかありませんでした。私は,この1年間,住本が懸命に積み重ねていた労苦をよく知っていました。だから,そうするしかなかったのです。この時,私は初めて天を恨みました。




「健気に精一杯生きる人間に,なんて仕打ちだ!!」




住本が私に近づいてくるのがわかりました。住本は肩越しに語りかけてきました。




「少し文脈は違うけど,こういうときだからこそ,我らが「鍛地頭-tanjito-」のキャッチフレーズ,『すかさず! 大きな声で! スマイル!!』じゃないといけんよね。」




【関連】「すかさず! 大きな声で! スマイル!!」(住本小夜子,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.7.5)




そう語る住本の声は,元の気丈な「住本小夜子」の声でした。








[後記]
本ブログを認(したた)めるに際して躊躇がございました。お亡くなりになられた方を初め,甚大な被害を受けられた方は大勢おられるのです。ただ,ブログとすることを決心した私の心底には,お亡くなりになられた方へ深く哀悼の意を表するとともに,被災者の皆様へのお見舞いの気持ちが強くありました。また,勝手ですが,私の心の支援者である住本の身に起きた不幸な出来事を書き留めておきたい気持ちもございました。さらに,一被災者の被災の〈事実〉を読者の皆様に知っていただきたいと願う我儘な気持ちもございました。本ブログをお読みになり,不快な思いをされた方もおありのことでしょう。まずもって,お詫びを申し上げる次第です。








© 2018 「鍛地頭-tanjito-」



posted by tanjito at 13:00| 広島 🌁| Comment(0) | 塾長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月04日

「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第6回)


(2) オリジナリティーを創造する視点形成の在り方




本ブログに先立って投稿している当塾のブログに,次のものがあります。


















Aのブログでは「傾聴」の,Bのブログでは「視点形成」の重要性について,それぞれ指摘したところです。そして,今回,私は「傾聴―視点形成」間の連関性について,その重要性を指摘しなければなりません。しかも,そのことは,「システム思考」を促進する上においても,「語りの構造読み」(前掲ブログBを参照)を導入・駆使した国語科授業を推進するためにおいても必要であることを重ねて指摘しておかなければならないのです。








【関連】
















それでは,早速ですが,「傾聴―視点形成」間の連関性について, C・オットー・シャーマーの「U理論」を援用しながら,「鍛地頭-tanjito-」の考えをつぶやくことにいたします。








【参考文献】




『U理論 過去や偏見にとらわれず,本当に必要な「変化」を生み出す技術』(C・オットー・シャーマー著,中土井僚・由佐美加子訳,英治出版,2010.11)…D
※ 私の愛読書の中の一冊です。








前掲書Dに「患者と医師の対話(ダイアログ)フォーラム」を扱った章(第10章 感じ取る(Sensing))」があります。そのフォーラムで「患者」と「医師」は心を開いた「対話」を展開します。話題は「患者と医師の関係性」(同 p.188)に検証軸を定め,それらの関係性を4つのレベルに措定し,現在の医療システムはどのレベルで作動しているのか,将来の医療システムの望ましい在り方はどのレベルなのかを「対話」するのです。




4つのレベルは,次のとおりです。









レベル1◇欠陥部品
 第1のレベルでは,健康の問題は単にすぐに修理しなければならない壊れた部品として理解されている。(中略)たとえば,心臓発作を起こした患者は医師に緊急治療を期待するだろう。


前掲書D pp.185-186









レベル2◇行為
(前略)「薬で治療するだけでいいのでしょうか。私(筆者注:患者)はそうは思いません。私は,『問題はあなた(筆者注:患者)の心構えです。生活の中の行為を変えなければなりません。もっと自分のためになることをしなければなりません』そう言ってほしいのです。」このレベルでは,医者の役割は,正しい指示を与え,患者が行為を変えるためのインストラクターと言えるだろう。


同 p.186









レベル3◇思考
 健康の問題は,行為のレベルでうまく解決されることもあるが,もっと深いレベルまで掘り下げなければならないこともある。行為は人々の前提と思考の習慣から生じる。(中略)時間がないと言っていると,病気によって無理やり時間を与えられることになる。これは間違いないと思う。将来の目的は何だろう。こうした問いを気にもかけず,人生を貴重な贈り物と思わないでいると,人は病気になる。(中略)このレベルで活動している人々にとっては,医者の役割は,患者が自分の人生と思考のパターンを内省するためのコーチである。


同 pp.186-187









レベル4◇自己変革のプレゼンス
(前略)ここでは,健康の問題は,個人を成長させ内面を育む旅に必要な糧ととらえられる。この糧が,創造の内なる源(ソース)が持つ潜在力を十全に開花させ,真の自己への旅に乗り出せと,我々を促す。(中略)ある女性は,こう語った。「(中略)そう,五八歳になって初めて『ノー』と言えるようになったのです。前は,いつでもオーケーだったのです。いつも活動していました。そうすることで自分のアイデンティティを失っていることさえ気づかなかったのです。今は,もう,将来の心配はしていません。私には,今日が大事なのです。この今が。」
 この患者と医師の関係性の四番目のレベルでは,医師の役割は新しいものが生まれてくるのを介助する助産師だ。


同 pp.187-188








「対話」の結果,「(筆者注 フォーラムへの参加者の)九五%以上は自分の経験から,現在の医療システムは悪いところを機械的に治すことに主眼を置いていると感じてい」(同 p.191)ました。また,「ほぼ全員が,発達,自己変革,内面の成長を通して健康問題と取り組むレベル3とレベル4を最重要視するシステムであってほしいと願ってい」(同 p.191)たのです。それは至極当たり前の結果だと言えそうです。




さらに,「発達,自己変革,内面の成長」という観点からすると,この帰結は学校教育にも敷衍されるわけです。そのことは対話フォーラムに参加していた一人の女性教師の発言に集約されます。









「学校でもまったく同じ問題に直面しているのです。学校でやっていることも,最初の二つのレベルの活動だけです。」(中略)「私たちは機械的な学習方法を中心に授業を進めています。過去のことを記憶し,古臭い知識をテストすることに力を注いでいます。子供の知的好奇心や創造性,想像力を伸ばす方法は教えていないのです。いつも危機に反応しているだけです。これでは(氷山の図のレベル3とレベル4を指して)そういう学習環境を創ることは絶対にできません。そういう環境なら,子供たちは自分で将来を形成する方法を学べるのに」


同 p.192








ただ,この対話フォーラムで看過できないことがありました。それは,終局的にこの対話フォーラムで見られる「患者」と「医師」との連関性が二項対立の構造を有していないということなのです。このことは,「医師の話を深く傾聴していたある女性」の発言が何よりの左證となります。









「あなたがた(筆者注:フォーラムに参加している医師たち)のことがとても心配です。私たちのシステムがあなたや,私たちの最高のお医者様を殺してしまうなんていやです。何かお役に立てることはないのでしょうか」。


同 p.193








この発言を窺う限り,「ある女性」の視点はその女性の内側から外側へと出て行き(=「患者」の領域を超越し,新たな〈患者〉の立場性を構築して),「患者」と「医師」とで構成した「医療システム」を見詰め始め,やがてその「医療システム」の一員であり,「患者」と共に「システム」を動かしていた「医師」に焦点化して行くのです。このことは,前掲書Dで次のように記述されています。









 これまで我々の視点(図10-2の白点)は一人ひとりの頭の中にあったが,ここまでくると自分の境界(図10-2の点線の円)の外に出ていく。つまり観察する者は内側から外にある領域(フィールド)を眺めていたのが,今度は領域(フィールド)からものを見始めるのだ。
 このシフトが起こると,観察する者と観察されるものとの境界は崩壊し,観察者は本質的に異なる視点からシステムを見るようになる。観察者自身が観察されているシステムの一部になる視点である。


同 pp.193-194,図10-2は省略。








では,このような〈視点〉を獲得するには,どのようにすれば良いのでしょうか?




実は,この解答は先述の「ある女性」が示してくれていたのです。それは「傾聴」の姿勢です。「傾聴」とは「耳をそばだてて,心眼を開き,相手(他者)の心(関心・理解してほしいこと・伝えたいこと)に寄り添い聴くこと」(前掲ブログA)なのです。









次々に現れる視点や考え方に深く耳を傾ける。聞き方が深くなるにつれ,しだいに異なる視点や考え方の間にある空間に注意を払うようになる。その状態にとどまる。すると,次の実例に移ろうとした瞬間に突如移行(シフト)が起こり,目の前のすべての具体的な実例を生じさせている集合的なパターンが見えてくる。つまり,実例を結合している形成力が見えてくるのだ。


同 p.196








つまり,「傾聴」すれば,「目の前のすべての具体的な実例を生じさせている集合的なパターンが見えてくる」(前掲書D p.196)のです。これが,すなわち,私たちが様々に関与している「(社会)システム」のことなのです。




前掲ブログCでは,「システム思考」を次のように定義しています。









対象(事象・現象)の相互関係等を「システム(例えば,問題を発生させているメカニズム)」で捉え,多面的・多角的な見方でそれが有する問題の原因を探り,問題解決を目指す方法論のこと。


前掲ブログC








人は多様なシステムの中で生を営みます。それらの「システム(例えば,問題を発生させているメカニズム)」に我々は内在し,それらの「システム」を動かします。そのメカニズムは自己に内在する視点だけで捉えることは困難です。仮に,問題を発生させているメカニズムに係る問題解決を考えるならば,〈外化した多面的・多角的な視点〉も必要となります。そうした〈外化した多様な視点形成〉に欠くことができないものが「傾聴」なのです。人は「傾聴」により,「システム」が自分に押し付けているのではなく,自分が「システム」の一員として,「共創造(co-creation)」を行っていることに気づくのです。「対象(事象・現象)の相互関係等を「システム(例えば,問題を発生させているメカニズム)」で捉え」るとは,すなわち,「内化した視点」に加え,〈外化した多様な視点〉で「部分」を捉え,そこに立ち現われてくる「全体」を知ることなのです。









「我々はある物を知るのと同じ方法で全体を知ることはできない。なぜなら全体は物ではないからだ。課題は,部分の中に立ち現われてくる全体に出会うことである」とボートフトは言う。


前掲書D p.210








そのためには,「「全体から部分へと向かおうとする認知の質を高めなければならない」」(前掲書D p.210)とヘンリー・ボートフト(1938~2012)は述べるのです。




このことについて付言すれば,〈多様な視点形成〉のために文学的なアプローチを可能とする行為が「語りの構造読み」(前掲ブログB)と言えるのです。「心を開くことは深いレベルで情動的知覚を目覚めさせ活性化すること」(前掲書D p.197)であり,「心で聴くとは文字通り心を,感謝や愛を知覚する器官として使うこと」(前掲書D p.197)です。このような「心」の在り方で,〈読み手〉が〈語り手〉の声を「傾聴」するとき,そこには〈語りのシステム(構造)〉が髣髴としてくるのです。それは〈作品の命〉への旅を可能ならしめるものなのです。




最後に,私個人の行為として,本節を俯瞰してみます。そのとき,私は「患者と医師の対話(ダイアログ)フォーラム」において,「診られる人(患者)―診る人(医師)」間の連関性に高次に揚棄した関係(レベル3,4)を読み取ってしまうのです。それはまさにヘーゲルの弁証法を想起させます。しかも,レベル3,4からは「人間らしい生活」・「真正な生活(authenticity)」を志向するとともに,世界は他者との連関により成り立つと考え, 理想主義(idealism)と行動主義(activism)の 揚棄を希求する文化的・創造的な行為をも見て取ってしまうのです。




そして,こうした考え方(営為)は「一元論的トランスモダン論」を踏まえた考え方(営為)と言えるのだとも思うのです。








【参考論文】


「ポストモダンからトランスモダンへ―現在社会のとらえ方の転換点―
From Postmodern to Transmodern: A Great Paradigm Shift」

:大橋昭一(Shoichi Ohashi) 和歌山大学観光学部 受理日 2014 年 6 月 18日








【追記】




「The パクるな!!」シリーズの従来の予定では,今回,「難解言説」,「毎日言説」及び「一回性言説」等の中から一種類の「言説」を抽出し〈相対化〉する予定でした。しかし,そうした〈相対化〉に関する基礎知識として「オリジナリティーを創造する視点形成の在り方」は不可欠であり,〈相対化〉に関する読者の皆様の理解を促進できるものと考え,予定を変更しておりますので,ご海容ください。








© 2019 「鍛地頭-tanjito-」



posted by tanjito at 18:11| 広島 ☁| Comment(0) | 塾長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月24日

BLOG記事ランキング(当塾比)&総評〔2018.2.2~2019.4.21〕





0 プロローグ




まずは,読者の皆様にお詫びです。




先週,本「BLOG記事ランキング」をアップロードすることができませんでした。誠に申し訳ございませんでした。現在,当塾の業務見直しに伴い,公式ホームページ及び公式サイトの改編作業を行っております。その作業が遅滞していることがアップロードできなかった理由です。




さて,新コーナーとして誕生した本「BLOG記事ランキング&総評」にも早速見直しが行われました。改善点は,次のとおりです。





  • アメーバブログ(以下,「アメブロ」)の週間ランキング(「いいね!」の総数順位)を表示する。

  • 本コーナーの各ページに挿入するアイキャッチ画像は,当面,アメブロランキングの第1位に輝くBLOG記事のそれを掲載する。

  • 本コーナーのタイトル(〔2018.2.2~2019.○○.○○〕)はアメブロランキングにおける集計期間を示す。




BLOG「鍛地頭-tanjito-」のランキングも掲載いたしますが,集計期間がごく僅かであることと記事数が十分でないこととが理由で,当塾のBLOGに関する業務(=教育情報の発信)がBLOG「鍛地頭-tanjito-」に完全にシフトするまで,アメブロを中心としたランキングを活用する予定です。




以上,ご諒解のほど,よろしくお願い申し上げます。







1 週間アメブロランキング




2019.4.21 19:30現在







1位 「時間感覚を養うスケジュール管理―軽度自閉スペクトラム症の息子の場合―」(「鍛地頭-tanjito-」の教育論>特別支援教育(療育),2019.3.4):「いいね!」828




2位 「新しい時代を生きるための《読み》について考える―〈語り手〉とは?【発展編】」(「鍛地頭-tanjito-」の教育論>「鍛地頭-tanjito-」の国語教育論,2019.3.27):「いいね!」775




3位 「「The パクるな!!」-ブログ類似言説の〈相対化〉-(第5回)」(塾長のつぶやき>塾長のつぶやき,2019.2.15):「いいね!」680







2 週間BLOG「鍛地頭-tanjito-」ランキング




2019.4.21 19:30現在







1位 「「鍛地頭-tanjito-」の令和考―異文化間を超越する〈美〉―【後編】」(小桝雅典,塾長のつぶやき>塾長のつぶやき,2019.4.14):14ビュー




2位 「BLOG記事ランキング(当塾比)&総評〔2018.2.2~2019.4.7〕」(小桝雅典,BLOG記事ランキング(当塾比)&総評,2019.4.18):13ビュー




2位 「塾長の述懐 第5回(2019.4.7(Sun.))」(小桝雅典,塾長の述懐,2019.4.17):13ビュー







3 今週の総評




いつもたくさんの皆様方に「鍛地頭-tanjito-」のBLOG記事をお読みいただき,誠にありがとうございます!!




今回から,先述したように,アメブロとBLOG「鍛地頭-tanjito-」のランキングを掲載しています。ただし,目下のところ,両ランキングを比較する意味は然程ありませんね。集計期間やアップロードの在り方も異なりますから。ただ,概観すると,当たり前の話ではあるのですが,集計期間が長く,1,000人近いフォロワーを有するアメブロのランキングでは,(読者の皆様にとって)欲しい情報としての需要が多く,当塾において力のある記事が1位~3位に勢揃いしている感じです。




一方,最近始めたばかりのBLOG「鍛地頭-tanjito-」のランキングでは,目新しい記事に関心が集中しているようです。特筆すれば,正直なところ,2位を分け合った二つのBLOG記事がランクインするとは思ってもいませんでした。統計好きの私の個人的な趣味として綴り始めた二つのBLOG記事(コーナー)でしたから,これら二つのBLOG記事がランクインしていることを知ったとき,「へえ~」と思わず声を漏らしてしまったほどです。




ですが,目新しさだけではなくて,BLOG記事の裏事情とも言える内容を認(したた)めた二つのコーナーが,投稿させていただく通常のBLOG記事(教育情報等)のスパイスとなって,読者の皆様が拙い当塾のBLOG記事でも玩味してくださる大切な役目を果たしてくれたならば,これ幸いなわけです。




そうした効果を担わせた二つのコーナーですから,淡々と(笑),今後も綴り続けていこうと思っています。本当は,スパイスなど入れず,BLOG記事だけで読者の皆様を唸らせる筆力で持って勝負すべきなのでしょうが,それはどうも儚い夢のようです。




しかし,当塾は,毎回毎回繰り返しますように,〈教育〉の土俵において,「理論」と「実践」との統合化を図るBLOG行為を営んで参る所存ですので,今後とも「鍛地頭-tanjito-」のBLOG記事を何卒宜しくお願い申し上げます。ご批正を含めたコメントを頂戴できると幸甚です。




以 上 







  平成31年4月21日







塾長 小桝 雅典 







© 2019 「鍛地頭-tanjito-」



posted by tanjito at 17:34| 広島 ☔| Comment(0) | 塾長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする