2019年10月07日

人と人とをつなぐ「あいさつ」―〈つながり〉を求めて―







本ブログは2018年6月24日に当塾公式ホームページにアップロードしたものの体裁(デザイン)を整え,若干の語句修正を施した上で本サイトに移行し再投稿したものです。









生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」副塾長の住本小夜子です。




前回の記事更新から日が空いてしまいました。ごめんなさい。




塾長は,ホームページの作成に頭を抱え,私は,教育関連の勉強に加え,心理学とコミュニケーションの勉強に追われる毎日。このように忙しくても幸せな日々を過ごしている先日のことでした。




ある友人から次のようなお電話をいただいたのです。









ねえ,聴いてよ~~!!
朝,幼稚園に息子を連れて行った時のことなんだけど・・・。


そうそう,そうよ・・・


いつものように,担任の先生が息子を迎えに出てくださって,
息子の家庭での様子を話していたら,
それまでご機嫌だった息子の顔色が急に険しくなっちゃって・・・。


いや,担任の先生が原因ではなくてね・・・


「見たことのない人がたくさん来られて,びっくりしたね~。」って,
担任の先生がおっしゃるから振り返ったのね。
そうしたら,中学生が10人くらいと,引率の先生がいたの。


なになに?・・・


そりゃ~,無言で大勢が背後に立っていたら,誰だってびっくりするわよ!!
だって,誰一人,あいさつもしないで,そこにつっ立っているんだもの!!


そうそう・・・それでね~


息子を預けてその場を立ち去る時に,私から,中学生と引率の先生に
わざと大きな声で「おはようございます!」と言ってやったの。
そうしたらどうよ!
それに,返してくれたのは,私の近くに立っていた3人の生徒だけ!!
その場にいた引率の先生ときたら,
私と目が合っているのにもかかわらず,完全に無視だったわ!!


そうよ!!


ねえ,これって,おかしくない?!
中学生は,体験活動で来たのだと後で知ったのだけれど,
幼稚園にお世話になるというのに,
対応されていた先生どころか,園長先生にも,
もちろん,こどもを預ける保護者や大事なこどもにも,
全くあいさつしないのよ?!


「先生」がお手本となっていない現実を目の当たりにして,
なんだか,とても悲しく思えたし,
【本当にこれでいいの?!】っていう違和感というか,嫌悪感というか,
不信感というか,…なんて言ったらいいの・・・恐怖感さえ覚えたわ!!









旧「鍛地頭-たんじとう-」では,教員採用試験に合格するだけではなく,「〈ホンモノ〉の教員を育てる」ことを一番の目的としていました。だから,「自分からあいさつができる教員」を目標の一つに掲げていたのです。









あいさつ運動をしている,小学校の登校風景








というのも・・・




現役時代の塾長は生徒さんたちに,「あいさつ(をすること)・服装(を整えること)・時間(を守ること)」
を徹底して指導したと言っていました。「それが自分(塾長)の信念だった。」と。




なぜならば…




「当たり前に守る基本的なことだけど,その当たり前がなかなかできないんだ。生徒も教員もね。」




理由がある場合を除き,これらが守られていない生徒さんには,必ず徹底的に厳しい指導をしたそうです。




生徒さんたちには,「あいさつ・服装・時間」ができていなかったら,必ず厳しい指導をする理由を,事前にしっかりと説明しておいて。特に,ホームルームびらきの時,保護者のいらっしゃる前でも説明したと。









ここがポイントだそうです。かつ,塾長自身もしっかりと守ったそうです。










「あいさつ・服装・時間」は学校目標や,その下位目標である学年の指導の目標,分掌(生徒指導係や進路指導係など)の指導の目標,ホームルームでの指導の目標と違(たが)うものではない。
それらの目標は児童生徒を良くするため,児童生徒と共有する,人として当たり前の基本的な目標だ。


つまり,教員個々人の目標でもあるわけで,児童生徒と目標を共有することは大切なことなんだ。
(共感的人間関係を形成する。)


しかも,教員というものは,各学校の掲げる目指す児童生徒像の下,絶対にこの点だけは(児童生徒が)逸脱したら,徹底して指導するというものを持っていないといけない。


もちろん,いろいろと指導することはあるのだが,「特に」とするラインを持つことが必要だ。
指導が一貫し,徹底するからね。それを粘り強く,丁寧にやる。


児童生徒も○○のラインを外れたら,先生たちに絶対に指導されると思うと,少なくともそのラインを守るようになる。


だから,人として基本的な目標である,「あいさつ・服装・時間」を設定したわけ。


その目標はたくさんでなくて良い。よくあって3つまでだ。たくさん目標を設定したって,生徒も守り切れないし,教員だって十分に徹底した,粘り強く,丁寧な指導ができなくなる。「選択と集中」というのかなあ。


執拗だけど,その他の指導を放棄するという訳ではない。「特に」必要な指導は徹底するってわけだ。


理由を含め,そのことを児童生徒・保護者等に事前によくよく説明し,実際,逸脱した児童生徒には徹底した指導をするんだ。実際に指導することが大切!! 「まあ,良いか・・・」は絶対ダメ!!


指導すると言ったことは,徹底して指導しないと,児童生徒は,「なんだかんだ先生たちは言っているけど,結局は指導しないんだ。」と思ってしまう。


ましてや,「指導して,生徒に反抗されるとたいぎ~~~から,見逃そう(=指導しない)。」
は絶対に,絶対にダメ!!


そのような先生には,「(あなたには)児童生徒を良くしようという気がないのですか!?」
と言ってあげる。


それも学校総体として,(どんな指導でも)組織的に行うのが良い。









したがって,「「あいさつ・服装・時間」は当塾でも組織的に,徹底的にやるぞ!!」という結論だったのです。




さらに言えば,









とても残念なことにね,世間から見れば意外なことかもしれないけれど,あいさつができない教員って,結構,いるんだよ。
だからこそ,〈ホンモノ〉の先生をつくるためには,ある意味,ちょっと悲しい目標だけど,「あいさつ・服装・時間」をやるんだ!!









と強い思いで語っていたのです。




先程の電話の友人は,教員として,また,1人の大人として,こどもの手本となるべき人が,あいさつをしないことに驚きを隠せなかったし,落胆したのですね。









そして,「鍛地頭-tanjito-」の基本方針を知っていた友人は,当塾に自らの胸の内をぶちまけるために架電してきたのです。










先程の体験活動の話に戻りますが,あいさつをしない先生と行動を共にする生徒は,あいさつをする習慣がないのだから,日常の行為として,あいさつをしなくなるのは当然です。









たった1人の先生があいさつをしないだけで,そんな断定的な表現をしなくてもという声があるかも。でも,その先生を除いた他の先生たちが,「すかさず! 大きな声で! スマイル!!」とばかりにあいさつをする集団だったら,友人が落胆するような状況が現実に生起するなんて思えません。









上記に関して,ミラーニューロンが関係していると考えたらどうでしょう。おもしろいかも。










さて,そのような出来事があった矢先,一昨日のことですが,息子が上機嫌で帰宅しました。









むすこ

むすこ



かあちゃ~ん!! ただいま~!!






Sayosan

Sayosan



お帰り~。






むすこ

むすこ



これみて~。









そう言って,ランドセルから取り出してきたもの。









学校からいただいた「あいさつお手本賞」
学校からいただいた「あいさつお手本賞」








全校朝会で校長先生から発表され,学年5名ずつ,この賞をいただいたそうです。これを見て,私は素直に嬉しい気持ちになりましたし,息子と一緒に喜びを分かち合いました。




「すかさず! 大きな声で! スマイル!!」で。




それとともに,私が小学生時代に地域で取り組んでいた「あいさつ運動」を思い出しました。私が通っていた小学校では,地域が一体となって「あいさつ運動」に取り組んでいました。









現在でも,いろいろな自治体・地域・学校等で取り組んでいらっしゃると思います。









登下校時はもちろん,遊んでいるときも,「外出しているときは,地域の人だけではなく,すれ違う人すべてに必ずあいさつをしましょう!」と指導を受けていました。地元の方ではない方にも,地元の人(こどもも大人も)みんながあいさつをして声を掛けるのです。




実を言うと,地域全体がこのようにあいさつに溢れることが,特に,こどもの安全と防犯にも役立っていたのです。老若男女問わず,地域全体であいさつをすることで,どこに誰がいるのか,どこで誰と誰が遊んでいるのかなど,周囲の大人が,こどもの居場所を把握することができ,こどもはこどもで,「どこにいても誰か(大人)が見てくれている。」という安心した心理になるのです。




地域の「あいさつ運動」とともに,家庭でもあいさつを欠かさない環境で育った私は,あいさつをすることが当たり前であり,その必要性と重要性を骨身に染みて感じています。




ですので,息子や娘に対しても,お腹にいた頃から,あいさつ(「おはよう」・「おやすみ」など)をしていました。生まれてからも毎日欠かさず,どんなに忙しくても,笑顔であいさつをすることを続けています。




このように,「あいさつ」の必要性と重要性を再認識した私は,いつものように「あいさつ」について,辞書的な意味を調べてみました。









【「あいさつ」とは】





    1. 人と人とが出会ったときや,別れるときに交わす儀礼的な動作や言葉。また,その言葉を述べること。相手に敬意・親愛の意を示す行為で,対人関係を円満にし,社会生活を円滑にする。

    1. 公の席や舞台などで,大勢の人に向かって祝いやお礼などの気持ちを述べる言葉。

    1. 受け答え。応対。返答。




(参照 三省堂 大辞林)









「あいさつ」はコミュニケーションを図るための手段の一つということは,誰もがご存知だと思います。




先日,塾長が興味深い話をしていました。
現役の教員時代。広島国際大学の久次 弘子(ひさつぐ ひろこ)教授(パフォーマンス学,コミュニケーション学,演劇学)から,個人的に御教示をいただいた「あいさつ」の話です。









塾長の考えを交えて語っています。










他者に「あいさつ」をするとき,お辞儀をするよね。


腰を折り曲げて,90度以上前屈みになる格好で深々と行う「あいさつ」は,あまりよろしくない。
自分の胸を相手に向けていないからね。かと言って,ちょこんと首を軽く曲げ,「オッス!!」ってな感じで,頷く程度の「あいさつ」は,却って無礼である。


他者(=「あいさつ」の対象者)に正対し,ぐっと胸を突き出すように背筋を伸ばす。これは,他者に対して胸を開く,つまり,「包み隠さない自分」を表現している。生徒指導でいう「自己開示」のようなものだね。


(「自己開示」はなかなか難しいことだけどね。先生でもできる人はプロだろうね。)


自ら他者に〈つながり〉を求める大前提として,胸を開くんだ。


そして,その開いた胸を相手に届けるように,少し突き出し気味に,かつ,相手の目を見て,視線を外さず,顎を引いて,45度角程度で中間礼をする。
これは,「包み隠さない自分(の気持ち)」を相手に届けることを表現している。
自ら他者に〈つながり〉を求める行為だね。










Sayosan

Sayosan



久次先生,解釈に誤りがあったら,誠に申し訳ございません。












上述している「あいさつ(お辞儀)」の仕方は,私が働いていた大手デパートでも取り入れられていました。










その上で,塾長は昔の教員時代を懐かしむように,つぶやいたのです。









いろいろな学校が登下校時に「あいさつ運動」(校門での指導)を行っている。「あいさつ運動」自体は,地域の方々のご協力を得ながら行う場合も含め,深い意義のあるものだと思う。




また,校門での指導を兼ねているから,服装指導もしているし,観察法によって,登校してくる一人ひとりの児童生徒の,その日その日の様子を伺い知ることもできる。




しかし,その「あいさつ運動」の場が,単に服装指導等だけの場として形骸化していないかと気になる。
当然,服装指導は大切だ。児童生徒を観察することも重要だ。やるべきだ!!
児童生徒を良くするためだ!!




だが,何人の児童生徒や先生たちが,〈あいさつ〉の意義を理解して,その場にいるのだろうか?




仮に,すべての児童生徒や先生たちがそれを理解し,「〈あいさつ〉の場」を形成しているならば,
服装指導一つを取ってみても,もっと異なった様相が展開されるのではないか?




一つ一つの教育活動には法的根拠があるし,人間の営為の一つ一つとして必ず意味があるのだ。


それを知って教育行為(人としての営為)を行うか,知らないで行うかでは,行為の在り方そのものが変わってくるのではないか?









現状として,〈あいさつ〉そのものが,家庭の中でさえ,日常的に,自然と行われなくなっているのではないかと感じます。









Sayosan

Sayosan



そのように感じているのは,私だけでしょうか?









毎朝,息子と一緒に登校してくれる上級生の男の子がいるのですが, 私は,必ず,「○○くん,おはよう!!」と〈あいさつ〉をします。




はじめは,返事が返ってきたりこなかったりしていたのですが,毎日続けていると,自然と「おはよう」と返ってくるようになったのです。




近所付き合いが難しい現代の世の中ですが,〈あいさつ〉がコミュニケーションの入り口となり,より深い人間関係の構築へとつながっていくのだと思います。




そんなこと, 確かにありきたりの考えで,当たり前のことなのです。でも,当たり前のことが,当たり前にできていない。当たり前のことを当たり前に行うことがむずかしい。そんな現実があるように思えてならないのです。




そして,そのような環境下,こどもたちは当たり前を当たり前と思わず,それが当たり前となって日常生活を営んでいる。さらに,そうした状況が,大人にとっても当たり前となっている。




日常の中で,〈あいさつ〉という初歩的な人間の営為だけど,でも,とっても大切な営為を,こどもも大人も自然と身につけられるよう,まずは,大人がお手本となる必要性を痛感するのです。




現代ほど,他者と協同し,助け合うことが必要な時代はないのではないでしょうか?




【〈あいさつ〉は人の心を開く】




現役教員時代の塾長には,もう一つの信念がありました。それは,




「(自然を含めた)他者とのつながり(絆)」を大切にすること。
生徒さんたちに,ずっと語り続けてきたそうです。




人として大切な「コミュニケーション(=〈つながり(絆)〉)」を, まずは我が家で継続して取り組んでいきたいと思います。









地域で取り組むあいさつ運動の幟
受賞を喜び,地域で見つけた幟に飛びついた息子と娘







© 2018 「鍛地頭-tanjito-」


posted by tanjito at 20:01| 広島 ☁| Comment(0) | 保護者の語る教育論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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