2019年07月26日

「思いやり」と温情主義―ポストモダン終焉期の実相〔12-2〕






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7 ポストモダン終焉期の諸相




(1) 〈言語能力〉及び〈言語運用能力〉低下の弊害




私は,県教委及び教員免許必修科目を担当する教育系大学講師の職員歴を含め,高等学校の教員を29年間勤めました。学校での専門教科は国語(大学では「教育課程論・教育方法論」,県教委では人事管理,研修管理,生徒指導,総合的な学習の時間,キャリア教育,特別活動,産業社会と人間,学校図書館(学)などが担当)でした。




教職の晩年を迎えるにつれ,私の胸中に巣食っていた憂虞(ゆうぐ)は肥大していきました。「児童生徒に限らず,(私自らをも含め,)教職員及び保護者を含めた大衆の〈言語能力〉及び〈言語運用能力〉が年々低下しているのではないか?」と。児童生徒,教職員及び保護者等については校内や家庭訪問等の「対話」から,また大衆についてはホームページやSNSを通じて発信される「ブログ」,「メッセージ」などから,それを窺い知ることができました。――特に,「ブログ」に表現される言表群や言説には強い危懼(きぐ)の念を抱いており,当塾のブログシリーズで,その〈相対化〉に挑んでいるところです。(☞ 【関連 当塾の「The パクるな!!」シリーズ】を参照のこと。)――









冨山 数学も英語もそうなんですが,ものを考えたり,ものを分析したりするときの,ある種の言語能力ですよね。その基礎的な言語能力というのは,別にどこに行こうが共通マターです。だから,高等教育までで,ちゃんとやっておくべきことは,そっちだと思うんです。


 いわゆるウンチク学問っぽい教養は,その後でいいんじゃないか,と私は思っていまして。シェイクスピアがこう言ったとか,それもいいんだけど,英語もちゃんとできないのにシェイクスピアを語っている場合か,と思うわけです。


 ところが,日本の大学というのは,そういうウンチク教養学校になってしまっている。特に文系学科は。それが生きる力だ,なんていう評論家もいるんですが,言語能力がないんですから,生きる力はない


「なぜ経団連会長は「大学は,理系と文系の区別をやめてほしい」と大胆提言するのか」>今の日本の学生にこれだけは求めたいこと:経団連・中西宏明会長×経営共創基盤(IGPI)冨山和彦CEO 就活対談#2,「文春オンライン」編集部,2019.5.29 …c








冨山氏の歯切れの良い言い回しが素敵ですね(笑)。冨山氏の見解は「言語能力=生きる力」であり,だからこそ「共通マター」と読めそうです。私の憶測になりますが,私は,上記の冨山氏の言表群から,「言語能力」に育成の比重を置いていない日本の教育を憂慮する思いを感じ取ってしまいます。したがって,現状として,国民の「言語能力」は低いと仰りたいのではないかと…。ただし,冨山氏の「言語能力」の定義は,他のここでは引用していない文脈から,例えばビジネス界の特定領域の共通言語としてのニュアンスも含有している節があるので,一概に母国語としての「言語能力」とは言い難いのですが,本ブログではその点には触れません。




さらに,その母国語と論理的な思考(力)との連関性にかかわる指摘が茂木健一郎氏にありますので,次に引用しておきます。









母国語で考える方がより深く考えられますし,母国語を筋道立てて使えるようにならないと,物事を論理的に考えることはできません。


茂木健一郎(2019.4):『本当に頭のいい子を育てる 世界標準の勉強法』[キンドル版],第2章,英語を話す人の八〇%は第二言語として話している,検索元 amazon.com








今回,本ブログでは深入りしませんが,早(幼年)期の英語英才教育は考えモノです。




本論に戻します。これらの引用を併せて考察してみるに,私たちの〈言語能力〉及び〈言語運用能力〉の低下は「感性・情緒」の欠落を招くだけではなく,論理的な思考力や創造性の低下を齎(もたら)すと言って過言ではありません。最悪の場合,私たちの「感性・情緒」が近未来では持たないであろうAIの「感性・情緒」に近似し,論理的な思考や創造性などを欠いてしまえば,それは世界をAIに乗っ取られるとかのお道化たレベルの話ではなく,現実的に私たちの〈尊厳(dignity)〉を喪失する,恐ろしい話になるのです。




「そんなことにはならないよ。」




「本当にそう言い切れますか?」









高度電子コンピューターを操作する人間型ロボット
AI22(提供 photoAC)








(2) 20世紀的な「知」の終焉―多視点を喪失した〈鄙陋ひろう〉の残滓ざんしの大衆化―




ア 〈言語能力〉及び〈言語運用能力〉と〈鄙陋〉の残滓




〈言語能力〉と〈言語運用能力〉の低下は,各人のものの見方や考え方(思考のチャンネル)における単視点化に近い現象を巻き起こしました。人間が「言語」で思考する(ものを考える)限り,例えば,身の周りに生起する諸現象を捉える視点(思考のチャンネル)は,〈言語能力〉と〈言語運用能力〉が低下すればするほど,偏狭なものになることは論を俟たないところでしょう。デカルトを始祖とした物心二元論を源とする二項対立の思考(=20世紀的な「知」)は〈言語能力〉と〈言語運用能力〉の低下により拍車を掛けられることになったのです。ポストモダンの終焉期を生きる各人が保有する視点は単視点化し,内在化していきました。その典型的な視点は 「自己/他者」=「有能(仮想的有能感※1)/無能」=「先(優先)/後」とする二項対立関係を土台とした自我中心主義を生んだのです。それによりポストモダンが生産した「小さな価値観」は消滅し,その代わりにカントが「根源的悪」としたエゴイズム( egoism・利己主義)が蔓延(はびこ)り,大衆は我執に塗れた〈鄙陋〉の残滓と化していきました。――それが,現在も,継続しているのです。そして,「現代ブログ言説」はそれを如実に表現しています。※2








イ 「思いやり」と温情主義




〈言語能力〉及び〈言語運用能力〉の低下による人間の「感性・情緒」の劣化は,自我中心主義を構造化する契機となるだけではなく,それを持続可能とする活力源ともなりました。ポストモダンの終焉期に訪れた,そうした「他者」よりも「自己」を優位に置く典型的な二項対立の思考性は温情主義(パターナリズム)を促進し,大衆に「似非-思いやり」を強制しました。どちらかに優位性を認める二項対立の思考性が「自/他」関係に投影されるとき,大衆は挙(こぞ)って同情(sympathy)と憐憫(pity)を援助を必要とする側の立場にある者に降り注ぎ/降り注ごうとしたのです。









温情主義(読み)おんじょうしゅぎ(英語表記)paternalism


権力者,支配者が被支配者,従属者からの権利要求あるいは外部からの強制によることなく,いわば自主的に恩恵的諸財を与え,そうすることで被支配者の不満,反抗を曖昧にして階級的対抗関係 (労使関係あるいは地主=小作関係) を隠蔽しようとするイデオロギー,あるいは支配者の政策のことをいう。したがって階級的対抗関係を表面化させようとする動きに対しては強力な弾圧をもってのぞむ。必ずしも日本に特殊なものではないが,第2次世界大戦前の日本では家族主義イデオロギーという形で存在し,大きな役割を果した。


コトバンク:温情主義(読み)おんじょうしゅぎ(英語表記)paternalism,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説,出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典









近代の個人主義は,一方では端的な利己主義であるとともに,他方では他者への思いやり(道徳感情,同情,共感,寛容の精神,憐憫,……その類い)をも内包するものである。だが,他者への思いやりというと,なにやら他者に主眼があるように一見思えるが,実は,自己の感情的満足がその尺度になっているのである。つまり,他者への思いやりをもつことが自己の満足となる限りにおいて,その限りにおいて思いやりを重視しようという,自我中心主義のバリエーションにすぎないのである。


長尾達也(2001.8):『小論文を学ぶ―知の構築のために―』,山川出版社,p.124,原文朱書き








ただし,ポストモダンの終焉期に発芽したノーマライゼーションには,同情主義(パターナリズム)に見られる,一方に優位性を据えた二項対立の思考に基づく差別性を払拭した脱中心化の発想が窺えます。









ノーマライゼーション(英語表記)normalization


障害者や高齢者がほかの人々と等しく生きる社会・福祉環境の整備,実現を目指す考え方。1950年代,デンマークの知的障害者収容施設で多くの人権侵害が行なわれていたことに対し,行政官ニルス・エリク・バンク=ミケルセンが提唱した理念で,1959年同国で制定された知的障害者法に盛り込まれたことから欧米諸国に広がった。従来の福祉活動で行なわれてきた,社会的弱者を社会から保護・隔離する傾向を反省し,すべての障害者の日常生活の様式や条件を,通常の社会環境や生活様式に可能なかぎり近づけることを目指す。また障害者が自己を確立し,社会的価値のある役割をつくりだし,それを維持できるよう援助していくことも大切であるとされる。日本では,1981年の国際障害者年をきっかけに認知され始めた。やがて国際社会における福祉の基本理念として定着した。


コトバンク:ノーマライゼーション(英語表記)normalization,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説,出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典









脱中心化(読み)だつちゅうしんか


〘哲〙 制度や秩序の中心から遠ざかり,逸脱すること。フランスの M =フーコーが現代社会と現代人の行動を特徴づけるために用いた語。


コトバンク:脱中心化(読み)だつちゅうしんか,だつちゅうしんか【脱中心化】,出典 三省堂








つまり,「脱中心化」の場合,対象間は全てそれらの関係性により規定されるのです。換言すれば,「自己」を中心(優位)に置く発想はないわけで,そういう点からしても,ある意味,「脱二項対立」というわけです。




さて,「思いやり」は当塾の基本理念に掲げてあります。当然ながら,この場合の「思いやり」が温情主義(パターナリズム)の陥穽かんせいおちたものでないことについては言を俟ちません。当塾名の「鍛地頭」と「〈言語能力〉・〈言語運用能力〉」及び「感性・情緒」との連関性を鑑みるに及び, 「〈言語能力〉・〈言語運用能力〉」 を「鍛」えることが「地頭」を「鍛」えることであり,それは「感性・情緒」を豊かにするとともに,〈思考力・判断力・表現力〉を磨き,多視点を形成することでもあったのです。まさにこれが「鍛地頭」です。すなわち,多視点でもって,「ありのままの《自己》」を含む了解・到達不能の「ありのままの《他者》」に近接する行為こそが,当塾が求める〈思いやり〉であり,当塾の基本理念である〈思いやり〉は 「〈自己〉―〈(自己を含む)他者〉」関係が前提となった「脱中心化」の思考性の上に成り立っているものなのです。









咲き揃うバイカラーチューリップの近影
春の訪れ(提供 photoAC)








  令和元年7月26日(金)








塾長 小桝 雅典 








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※1 速水敏彦(2016.10):『他人を見下す若者たち』,講談社[キンドル版]を参照のこと。




※2 次の【関連 当塾の「The パクるな!!」シリーズ】を参照のこと。ただし,本シリーズは完結していないことから,「現代ブログ言説」の十分な〈相対化〉について,(現状では)表現されていない。したがって,今後に譲るところが多い。








【関連 当塾の「The パクるな!!」シリーズ】

















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2019年07月14日

住本家で起きる謎の怪奇現象?!


住本家では夜な夜な背筋の凍りつくような謎の怪奇現象が起きています。
それも,ほぼ毎日…。
その様子の撮影に成功したので,ブログに認(したた)めます。




それでは,どうぞ,ご覧ください!!








1 いつものように就寝




こどもたちは,毎日決まって20時50分に蒲団に入り,眠りに就きます。









眠りにつく兄妹
眠りに就くこどもたち








こうして,こどもたちが寝静まると,少しずつ,少しずつ不可解なことが起きていくのです。








2 気がづけばそこにいる!!




余りの恐怖に,私はいつかこの怪奇現象を捉えてやろうと,カメラを携え,待ち構えていました。




ある日のことです。
ついにその時がやってきたのです!!









幼い兄弟の寝相
どこで寝ているのか…。
頭と足が逆の状態ですけど…。









幼い兄弟の寝相
ギャー―――!!!!!
動いている!!!!!
そして,なんだこの格好は!!!!!
どこか似てる…









幼い兄弟の寝相
わぁーーーーーーお!!!!!
身体の向きが戻っている!!!!!









幼い兄弟の寝相
おかえりなさいませ。
兄ちゃんに膝蹴り,炸裂!!









幼い兄弟の寝相
そして,朝。
最終的には息子と娘の位置が入れ替わってしまいます。








3 不可解な現象の正体




毎晩,住本家で起きている不可解な怪奇現象の一部始終をお伝えいたしました……。
まあ,敢えて誰に似たとは言いませんが……(汗・笑)




こどもたちが寝床を入れ替わりながら,就寝時の定位置に戻ってくる早朝,「兄ちゃんアラーム」が私を快適な眠りから呼び覚ましてくれるのです。激痛と重みと共に。そう私の顔面には寝返りを打つ息子の片足が降り注いでいるのです。まるで,毎夜,兄ちゃんの顔面に膝蹴りを喰らわす妹のように。




そして,「兄ちゃんアラーム」が鳴り終わるころ,携帯電話のアラームがけたたましく朝の時を告げるのです。








少し調べてみました。




こどもの寝相の悪さは「脳がしっかり休めている証拠」なのだそうです。また,寝相によって「こどもの深層心理」が読み取れるのだとか。




参考
寝相は悪いほうが安心!?子どもの寝相が悪い理由,近藤 浩己(2016.06.01)
寝相で読み取る子どもの深層心理!寝相タイプ別7選!,Quiizu~女性のためのメディア~









幼い兄弟の寝相
蒲団の縁を一周する娘








息子と娘は,矢印(写真)の流れに沿って約1時間おきに移動していきますが,これは,もしかすると睡眠リズムに関係しているのかもしれません。









 睡眠中は「レム睡眠」という浅い眠りと、「ノンレム睡眠」という深い眠りが交互に現れます。
 レム睡眠時の脳は覚醒状態に近く、体は弛緩します。夢を見るのはこのときが多く、体は弛緩していて動きません。意識があるのに動けない「金縛り」は、この状態のときになります。
 ノンレム睡眠は深い眠りですが体は動き、寝返りも打てます。成長ホルモンをはじめとするホルモン分泌などもこのときに行われています。
 レム睡眠とノンレム睡眠は図のように繰り返し、始めはノンレム睡眠がより深く長く出現し、起きる前には浅めで短いレム睡眠が多くなっていくのが一般的な睡眠のリズムです。このリズムは1回1時間半くらいで繰り返し、4~5回繰り返すと、熟睡感と快適な目覚めが得られるといわれています。


良い睡眠で快適生活,社会保険出版社(監修:古賀良彦(杏林大学医学部精神神経科学教室教授),2019.07.08 最終アクセス)…a









睡眠リズムを表した図
前掲記事aより引用








身体って不思議ですね。意識をしていなくても,何らかの作用が働いているのですから。








こどもたちの寝姿(寝相)をよくよく観察してみると,それぞれの動きが面白い!! ズルズルと率先して移動しているのは息子なのですが,それを追うように娘は付いていきます。同じような恰好で寝ていたり,息子が寝返りを打つと,瞬間,娘も寝返りを打つ。息子と娘で回転の方向が反対になることもある。いわゆる「シンクロ寝」ですよね。




「シンクロ寝」とは,「親子やきょうだいで,同じ寝相をしていること」です。しかも,この「シンクロ寝」は親子やきょうだいに限らず,親密度が高く信頼関係がしっかりしているペットと飼い主にも見られるそうです。




そう言えば,関連付けて良いのかどうか…,岸根卓郎(2016.5)「量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」――物心二元論を超える究極の科学」([キンドル版],検索元 amazon.com…a)に,次のように「アスペの実験」が紹介されています。









 ついで、一九七四年になって、この「ベルの定理」を立証しようと実験に取り組んだのが、アラン・アスペ と、その同僚たちであった。  


 この実験で重要なことは、彼らが、粒子は「電気量」のほかに「スピン」という特性をも持っていることに着目し、その特性を「ベルの定理の立証実験」に利用したという点である。  


 ここに、粒子の「スピン」とは、粒子が「コマ」のような 「軸」を持っていて「回転」する性質のことであるが、詳しくは以下のとおりである。すなわち、いま「スピン」(回転)がゼロであるような二つの粒子の系を考えた場合、その特性とは、  


 ① かりに、そのうちの片方の系の粒子のスピンの軸の方向が上向きになれば、もう一方の系の粒子のスピンの軸の方向は必ず下向きになること、つまり粒子のスピンの回転方向は両者で必ず左右反対になること


 ②そのときの粒子のスピンの回転の速度は両者つねに等しいこと


 である。その意味は,


「二つの系の粒子はどのような位置にあっても,互いのスピンの軸の方向(回転方向)は必ず正反対で,その回転速度(運動量)はつねに等しい」


 ということである。


前掲書a,第二部 量子論が解明する心の世界 四 量子論への支持――コペンハーゲン解釈に対する支持 2 アスペの実験による立証








むむむっ,人間も素粒子でできているということは,上記の引用が当てはまるのですかね…,「息子が左に寝返りを打てば,同系の娘は右に寝返りを打ち,その寝返り(スピン)の回転の速度は両者つねに等しい」なんて…。









 そこで、いまAとBの二つの粒子が互いにそれぞれの領域で反対側へと遠ざかっている場合、実験者が、その途中で、磁場装置によって、かりにA粒子のスピンの軸の方向を上向きから下向きに変えたとすると、不思議なことに、このときB領域に向かっていたB粒子は、なぜかA粒子のスピンの軸の方向が上向きから下向きに変わったことを「瞬時」に知り、スピンの軸の方向を下向きから上向きに変えることになる。つまり、A粒子のスピンの回転の方向を左向きから右向きに変えたとすると、不思議なことに、このときもB領域に向かっていたB粒子は、なぜかA粒子のスピンの方向が左向きから右向きに変わったことを「瞬時」に知り、スピンの方向を右向きから左向きに変えることになる。ということは、
「B領域の粒子は、A領域での情報(実験者の意思) を〈瞬時〉に(超光速で)感知して、即座にその存在形態を反対方向に変化させる」
 といえよう。しかも驚くべきことに、このことはかりに二つの粒子が「宇宙的規模」でいかに遠く離れていても、理論的には「まったく同じ」であるという。この現象は「量子テレポーテーション」とも呼ばれているが、この実験の持つ重要性は、
「二つの粒子がどのように遠く離れていても、B領域の粒子の状態は、A領域 の〈実験者の意思〉(人の心)によって、〈瞬時に変化〉すること(量子テレポーテーション)を完全に立証している」
 ということである。


前掲書a,第二部 量子論が解明する心の世界 四 量子論への支持――コペンハーゲン解釈に対する支持 2 アスペの実験による立証








つまり,我が家の各部屋は「宇宙的規模(距離・空間)」で存在していないのですけれど(笑),仮に息子と娘が別々の部屋で眠っていても, 「息子が左に寝返りを打てば,同系の娘は右に寝返りを打つ」ということなのでしょうか…




うん…?
ちょっと待って…。




ということは,私もこどもたちと同じように,夜な夜なグルグル回転しているのかしら…(笑)








© 2019 「鍛地頭-tanjito-」



posted by tanjito at 17:59| 広島 ☔| Comment(0) | 副塾長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月08日

西日本豪雨災害から1年-それぞれの想いを乗せて


まずはじめに,平成30年7月の西日本豪雨災害に際し,お亡くなりになられた皆様に謹んでお悔やみ申し上げます。
また,被災された皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。




あの豪雨災害から一年。被災状況が掲載されているネット情報※1を拝見すると,それぞれの地区で亡くなられた方,怪我をされた方及び床上・床下浸水の発生数と共に,当時の画像が大きく掲載されていました。その画像を一枚一枚,目に焼き付けるように拝見しながら,私の脳裏には当時の私の身に起きた出来事が次々と呼び起こされていきました。




……あの日……,……あの時……,……あの場所で……,……あの人が……。




被害に遭われた方それぞれが何を想われ,どのようにこの一年を過ごされてきたのか。




一被災家族の現状をお伝えできればと思います。








1 〈失う痛み〉




「母ちゃん,避難するん?!」




そう言って不安そうな表情を浮かべる息子と娘。被災して以来,私の携帯電話に届く気象情報や災害情報の通知音を耳にすると,こどもたちが反射的に訊ねるようになりました。前もって豪雨が予報されている時は,「これとこれと,あれも持って行く。」と避難時に持ち出すものを確認しているこどもたちの姿があります。




平成30年7月6日(金)20時10分頃
アパートの脇にある道路が冠水していることに気づき,逸る気持ちを抑えながら私は避難準備をしていました。そんな私に息子が近づき,「母ちゃん,僕と○○(←娘の名前)は何を持って行ったらいい?」と訊ねてきたのです。私は咄嗟に「自分が大事にしているもの! 失いたくないもの!」と捲し立てるように返答したのです。




息子は,学校の教科書や筆箱などの学用品を詰めたランドセルと学校の制服,お気に入りの本や日記帳を手提げ袋に詰め込みました。娘は,小さなぬいぐるみ二つをぎゅっと抱えてポツンと立っていたのです。




避難から一夜明け,旧自宅アパートが床上浸水している事実を,携帯電話で撮ったばかりの画像を見せながらこどもたちに伝えました。その翌日には,現状をしっかりと理解させるために,泥まみれになった自宅アパートに敢えて二人のこどもを連れて行きました。




「あっ!! これ……。」




お気に入りのおもちゃや本が泥水に浸っているのを発見した息子。




「………。母ちゃん……。」




無意識につないだ手に力が入る娘。




そっとこどもたちに目を向けると,二人は言葉にできない気持ちをグッと堪えているようでした。見る見るうちにその小さな瞳は涙で溢れ返っていきました。




被災した自宅アパートの片づけを塾長に手伝っていただきました。処分するもので足の踏み場もない中,「こどもたちのおもちゃだけは何とか残そう。」と処分を免れそうな代物を塾長は懸命に見つけ出してくださいました。そして, 一つ一つ丁寧に消毒・洗浄し, 天日に干した「ブロック」「トミカ」「プラレール」,それに「ままごとセット」は再び使用できる状態になったのです。




しかし,それ以外のものはすべて処分しなければなりませんでした。こどもたちの成長とともに,一緒に楽しい時を創り上げてきた思い出の品の数々を一斉に処分しなければならないという現実に心が折れました。道路を挟んだ空き地に数々の「思い出」は〈思い出〉となって高く積み上げられていったのです。泥まみれの自宅に最後まで残されていたものはおもちゃでした。「明日,使えなくなったおもちゃを捨てるからね…。」とこどもたちに話すと,「パズルは?」「お人形のベビーカーは?」「おえかきは?」と落ち着かぬ様子で口々に問いただしてきます。「残せたものは4つ(種)だけ」と伝えた途端,こどもたちはガクッと膝から崩れ落ちました。




誰が悪いわけでもない。けれど,失わなければならない。ほんの数日前まで,ずっと大切にしていたものを捨てなければならない。大きな声で泣きわめくでもなく,「嫌だ」と駄々をこねるわけでもなく。ひたすら「おもちゃ」を凝視するこどもたちが握りしめていたものは,小刻みに震える自らのこぶしだったのです。




この日を契機に,〈失う痛み〉を知った息子と娘は,〈ものを大切に扱うこと〉を学びました。




「被災した現実」を,息子と娘はどのように認識したのか…。小さな小さな心の内に,大きく深く刻まれた傷跡が残ったことだけは間違いのない〈事実〉なのです。









おもちゃで遊ぶ兄妹
処分を免れたトミカとプラレールで遊ぶ息子と娘








2 いろんな「かたち」で残る爪痕




西日本豪雨で甚大な被害を受けた広島県ですが,まだまだ復興というには程遠い現状があります。現在,私が通っている広島国際大学も裏山の大規模な土砂崩れを受け,未だにその爪痕が生々しく残っています。その他,本県には,復旧に着手する優先順位があるため,全く手が付けられていない箇所も多々存在します。




毎朝, 出勤のために通る幹線道路では,今尚,災害復旧活動のため,荷台に大量の土砂を積んだトラックと何台もすれ違います。災害発生から1年経った今も,なかなか思うように復旧作業は進んでいないのです。あれから1年。ずっと不安を抱えたまま,日々の生活を送っておられる多くの方々がいらっしゃるということです。









西日本豪雨災害から1年後
草に覆われてしまっている二次災害の危険を知らせる印
令和元年7月6日,撮影者 住本小夜子








私は被災後,少し強い雨が降ると胸を締め付けられるようになりました。「被災はしない。大丈夫だ。」と分かっていても,どこからともなく恐怖が襲ってきます。当時,避難場所だったのは息子が通う小学校の体育館。その体育館の屋根を打ち付ける激しい雨音が今でも鮮明に記憶されており,大粒の雨が地面や家屋を打ち付けると,否が応でもあの日の記憶を蘇らせてしまうのです。









西日本豪雨災害から1年後
広島国際大学を襲った土砂崩れの一部,令和元年7月6日,撮影者 住本小夜子









西日本豪雨災害の記録
広島国際大学を中心にした,無数の土砂崩れの様子(東広島市黒瀬町)
提供 広島豪雨災害~命を守るために~,FNN PRIME,2018年8月6日








令和元年5月中旬。
車を運転中,ふと目にした光景に,私は息が詰まりました。その光景は,田植えを控え,水が張られていた田んぼでした。被災した旧自宅アパートのすぐ近くには田んぼがあったのですが,田んぼに溜まりに溜まった雨水が泥水と化し,旧自宅アパートに勢いよく流れ込んでいたのです。それが記憶の奥底に眠っていたのでしょう。田植えを控え,水を張った田んぼを見た瞬間,その記憶がフラッシュバックしたのです。頭痛と吐き気に襲われ,路肩に車を停めて落ち着くまで休むことを強いられてしまいました。その後,同じ状況が数度起こったのです。




思いもよらぬことで当時を思い出すものです。忘れようと思っても忘れられることではありません。豪雨に見舞われ,翻弄された人々は,〈何か〉を抱えて生きていらっしゃるのだと思います。









西日本豪雨災害から1年
橋脚に挟まったままの流木(東広島市黒瀬町),令和元年7月6日,撮影者 住本小夜子








3 人の〈こころ〉を知る




「この経験を記録に」と残した当時の写真を見ていると,「こんなことがあった」「あんなことがあった」と多々思い出すことがありました。




避難した日(平成30年7月6日)の夜から朝にかけてはとにかく寒く,旧自宅アパートから持ち出したタオルケットだけでは凍えるような避難先の気温でした。ジャンパーも持参しましたが,こどもは「寒い!」と訴えながら寝たり起きたりを繰り返していました。私は自分が羽織っていた服をこどもに掛け,体調を崩さないようにと願うばかりでした。




避難所となった小学校には,なんとかたどり着くことができた役所関係の方が二名おられ,1時間,乃至は2時間おきに避難者の様子を伺い,声を掛けてくださいました。




男性職員さん:「何か困っていることなどありませんか?」
私:「こどもが寒いと訴えているのですが,何か暖を取れるようなものはないでしょうか?」
男性職員さん:「わかりました。探してみます。」




この時点では,まだ救援物資などありませんでしたので,学校内にあるものをお借りするしかありませんでした。しかし,結局,何も見つからず,「気休めにしかならないかもしれないけれど…。」と息子の体に,男性職員さんが着用していた服を掛けてくださったのです。その時撮影したものが下の写真です。









西日本豪雨災害の記録
男性職員さんの上着をお借りし,
避難先の小学校で就寝するこどもたち,平成30年7月7日早朝








職員さんにもご自身の住む家があり,家族がいらっしゃる。そのような状況下で,自らの不安を押し殺し,お気遣いを頂いていたのだと思うと感謝の言葉しかありません。お陰様で,こどもたちは体調を崩すこともなく,無事に避難生活を送ることができました。








避難してすぐ,とても困ったのは避難先に外部の情報が全く入って来ないことでした。避難所となった小学校に待機してくださった役所の職員さんも,「ここにいるだけで,何も情報が入って来ないのです。」「本部(役所)からの連絡を待つことしかできない状態です。」とおっしゃっておられました。




そのような折,私の携帯電話の通知音が甲高く鳴りました。息子が生まれてから知り合った友人が連絡をくれたのです。外部の状況が全く分からないことを伝えると,逐一連絡を続けてくれました。この連絡で,初めて黒瀬地区も大きな被害を受けていることを知ったのです。




真っ先に知りたかった自宅の被災状況を知ることができたのは,少し雨が上がった翌7日の午前9時ごろだったと思います。「あのアパート付近は,現在,」160センチの浸水。」と教えてくださったのは,消防団の方でした。約100メートル先にある旧自宅アパートまでたどり着くことができず,ただただ立ち尽くしていた時のことでした。




避難先の小学校に戻り,ふと目に入ったのが校長室に設置されているテレビでした。「少し見てもいいですか?」と了解を得て,そこで初めて広島県内に甚大な被害が出ていることを知ることになります。テレビに映し出された変わり果てた光景に愕然とし,「えっ?!」「えっ?!」という声にならない声が出るだけでした…。




「これ坂(広島県安芸郡)ですか?」「えっ?! 矢野(広島市安芸区)?!」
「えっ?!」「(地名)」,この2つしか言葉として出てこない。




この頃になると,SNSで詳しい被災の状況が情報共有されるようになりました。テレビでは報道されていない地区(被災状況がひどく取材に入ることができない)の被災状況も知ることになります。以前住んでいた地区も甚大な被害を受けており,何も言葉になりませんでした。




その他にも,県外にいる親戚から連絡があり,中でも「阪神淡路大震災」を経験した叔母は「生きていれば,後は何とかなる!!」と勇気づけてくれました。




一年前に書いた記事「「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―」(住本小夜子,当塾公式ホームページ,2018.7.27)には,当時,肌身に感じた人の〈こころ〉を綴ってあります。避難当初から,たくさんの方々にお世話になり助けていただき,そこにはたくさんの方々の〈こころ〉がありました。




しかし,人の「こころ」の中には心無い言葉があったことも事実です。誰しも,被災したくてしたのではない。それまであった生活を犠牲にしてまで,被災したいと思った人がいるでしょうか?




「(被災していない)私の家にも給水してもらえんのんかね~」と大声で皮肉を言われ,相手がどのような人間かを知りました。同じような状況に置かれ,同じように皮肉を言われたら,この人はどう思うのだろうか。「支え合う・助け合う」ということを知らない。自分さえ良かったらそれで良い。その人の本心が見えた時,その人との縁は切れました。




被災したことよりも,「心無い言葉」の方が辛く苦しく悲しい。あの時,私に向けられた言葉は一生忘れることができないでしょう。皮肉を言った本人は,もうとっくに忘れているのでしょうが…。 人間が持つ「言葉」は,これほどまでに相手を追い詰め,傷つけるのです。遣い方/遣う人次第で,言葉は「狂気」※2に変わるのです。




相手を想う〈こころ〉を見失うことなく,こどもたちにも〈思いやり〉とは何かをしっかりと教え,人の〈こころ〉の大切さを持ち続けていきたいと思います。









西日本豪雨災害の記録
避難2日目の夜,救援物資のご飯を食べる息子と娘,平成30年7月7日 19時頃








4 復興への「光」




平成31年2月。
地域住民の方との交流が叶いました。自宅周辺を知る良い契機になるかもしれないとの思いもあって,自治会の地域清掃に参加したのです。現在の住居に引っ越して来て7か月が経っていましたが,自宅周辺を歩いたことはありませんでした。




小グループに分かれての作業だったのですが,簡単な自己紹介も交え,会話を楽しみながら清掃していました。すると,一人の女性がポツリとつぶやかれたのです。




「今年はホタルを見られるかね…。」




私はすぐさま「ホタルがいるのですか?!」と訊き返していました。女性がおっしゃるには,


「毎年,時期が来るとホタルが見られるのだけれども,今年は去年の豪雨災害の影響があるからどうなるか分からないね。」とのことでした。









西日本豪雨災害の爪痕
ホタルの住処を襲った土砂崩れの跡,令和元年7月6日
撮影者 住本小夜子








令和元年6月10日(月)。
こどもたちを連れて,先述の女性がおっしゃっていた川へ行ってみました。そこで,ぽわ~んと動く緑色の光を発見!! 思わず「おったーーー!!」と嬉しさのあまり悲鳴を上げ,テンションが頂点に達したのは,何と,私だったのです。(笑)




こどもたちは,初めて見るホタルの光を必死で追いかけていました。普段は虫が怖くて触ろうとしない息子が,自らホタルを捕まえて触れてみたり。その姿に触発された娘も,息子の両手に掬われた幻想的なホタルを恐る恐る観察したり。




こんな近くでホタルが見られるなんて。
現在の自宅から歩いてすぐのところに小川があることさえ知らなかったのです。




帰宅途中に,ご近所の方にお会いしました。




私:「ホタルを見てきたんですよ。」
ご近所の方:「毎年楽しみにしているホタルを今年も見ることができるんじゃね。もう見られないかと思っていた…。本当に良かった。」




安堵の表情を浮かべながら,その方は微笑まれたのです。




災害という自然に恐怖を覚え,ホタルという自然に感動する。自然と人間との〈共存〉とは何かを考えさせられたのです。









西日本豪雨災害からの復興
土砂災害に負けずと現れたホタル,令和元年6月10日,撮影者 住本小夜子








参考:【こどもたち、人生初のホタル】,(住本小夜子のFacebook投稿記事,2019.06.11)








5 被災し〈いのち〉を考える




西日本豪雨災害を受け,広島県を初めとする市町村において,防災に対する種々の新たな取り組みや改善がなされてきました。例えば,ハザードマップの見直しや防災セミナーなど。行政と住民との情報交換の場も設けられました。




ただ,この活動が「かたちだけ」で終わることのないようにと願います。改善すべきところはたくさんありますし,それをみんなで考え,取り組むことが大切だと思うのです。異なる立場の人たちが集い,〈こころ〉を開いて〈傾聴→対話〉する。立場間で生起する矛盾を〈矛盾〉として内包したまま,それぞれの立場から成る考え方を止揚(aufheben)し,高次の考え(方途)を構築する。このことが重要だと思うのです。また,時が経つとともに薄れていく「記憶」。だからこそ,しっかりと「記録」として残す必要があるし,伝えていかなければならないのだとも思います。




みなさんは「自然災害伝承碑」をご存知でしょうか? 西日本豪雨災害で多くの犠牲者が出た広島県安芸郡坂町には,100年以上前に起きた水害を伝える石碑があるそうです。









 我が国は、その位置、地形、地質、気象などの自然的条件から、昔から数多くの自然災害に見舞われてきました。そして被害を受けるたびに、わたしたちの先人はそのときの様子や教訓を石碑やモニュメントに刻み、後世の私たちに遺してくれました。


 その一方、2018年7月の西日本豪雨災害で多くの犠牲者を出した地区では、100年以上前に起きた水害を伝える石碑があったものの、「石碑があるのは知っていたが関心を持って碑文を読んでいなかった。水害について深く考えた事は無かった。」(平成30年8月17日付け中国新聞より引用)という住民の声が聞かれるなど、これら自然災害伝承碑に遺された過去からの貴重なメッセージが十分に活かされているとは言えません。


 これを踏まえ国土地理院では、災害教訓の伝承に関する地図・測量分野からの貢献として、これら自然災害伝承碑の情報を地形図等に掲載することにより、過去の自然災害の教訓を地域の方々に適切にお伝えするとともに、教訓を踏まえた的確な防災行動による被害の軽減を目指します。


自然災害伝承碑,国土地理院,国土交通省(2019.07.06 最終アクセス)









自然災害伝承碑
広島県坂町小屋浦地区にある自然災害伝承碑(国土地理院)








被災後の片づけをしていた時のことです。 私たちが被災した旧自宅アパートがあった地区では,20年前にも水害があったことを,近隣にお住まいの方のお話で知りました。避難所となった小学校の体育館を訪れた自治会の方からは,「あそこ(被災地区)は大雨が降ると,水に浸かる。」「引っ越す前に,古くからその場所に住んでいる人に自分から話を聞きに行って情報を得ないとダメよ。」と教えていただきました。




参考:「副塾長,西日本豪雨により被災!!  -「思い出」が〈思い出〉になってしまった-」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.7.5)




自然災害伝承碑が存在し,以前に災害を経験しておられる人がいるにもかかわらず,なぜ同じような被害がでてしまうのでしょうか。それは,自ら率先して話そうとする人がいないからでしょうか。それとも,自ら率先して話を聴こうとする人がいないからでしょうか。




私は思います。




この問題はそうした「話さないから/聴かないから」といった二項対立の枠組みで考える問題ではないのです。そうした微視的な視点ではなく,「自然/人間(≒自然対人間)」として,しかも「自然<人間」として考える近代の「知(思考)」の枠組み(フレーム)という巨視的な視点から考える問題だと思うのです。長い年月,人は「自然」と「人間」とを〈切り離して〉考えて来ました。その過程で人は「自然」を〈こころ(精神)〉を持たないモノと見,「こころ(精神)」を持つ「人間」が「自然」を支配できると考えてきたのです。その結果,現代に至って「環境問題」が生起したのです。だから,今になって,世界的な規模で「自然―人間」間の〈共存〉を考えようとしているのです。しかし,相も変わらず「人間」は(ややトーンダウンはしたものの,)自我中心主義を貫こうとし,「自然」は自らを〈主張〉し始めました。そこで,その両者間に生じる「矛盾」を〈矛盾〉とし,両者の主義主張を止揚(aufheben)した高次の〈共存〉関係の模索が始まっているのです。したがって,こうした思考性を持つ人々が世界的な規模で増えていけば, 「話さないから/聴かないから」 といった問題は必然的に消滅する問題と言えるのです。ただし,その際,「矛盾」を〈矛盾〉として超越するには,「他者」との〈対話〉(≒〈つながり〉)が必要になります。その成就が鍵となるのです。そういう意味からも「絆(つながり)」は大切なのです。




現在の住居に引っ越してすぐ,私は自治会に加入しました。どこに誰が住んでいらっしゃるのかを知るため,そして,私たち母子の存在をみなさんに知っていただくためです。また,同じアパート(棟)に住まわれているすべての方々と面識を持ち,会えば必ずあいさつをし,井戸端会議ができるご家族もできました。別の棟の方にも,あいさつは欠かしません。お互いがお互いの存在を認識し合うこと,そこから〈つながり〉が生まれていきます。




何も〈つながり〉は近隣の方だけのものではありません。本ブログをお読みくださるみなさまとも,私は〈つながっている〉のだと思います。そこで,その〈つながり〉の証に,1年前の被災から私が考えこと・感じたことを率直にお伝えしようと思います。何かの参考にしていただければ幸いです。




私は,被災直前にテレビや携帯電話で避難情報と河川水位を確認していました。しかし,実のところ,その情報を信じ切れずにいました。自分の目で確認しないと,納得できなかったからです。ですが,それは誤りでした。経験上はっきりと申し上げることができるのは,次の事柄です。





    • 「避難」と言われたら即座に「避難」する!!

    • 増水した河川を決して見に行ってはいけない!!

    • いざという時のために,日頃から防災グッズを備えておく!!

    • 日頃から被災時の行動を家族としっかり話し合っておく!!




一年前に避難した時は,家族みんな揃っての避難でした。しかし,万一別々の場所にいたら…。息子と娘には次のように話しています。





    • そのときにいる場所(学校,保育所,放課後等デイサービス等)の先生(大人)の指示にしっかり従うこと。

    • みんな別々になっていても,必ず会えると信じること。

    • 最終的な集合場所は,○○小学校。




そして,現在の住居から最も近い避難場所の確認も致しました。








西日本豪雨災害で亡くなられた方は,全国で219人。けが人は404人。※3
避難する際,私は自分とこどもたちのことでいっぱいいっぱいとなり,周囲の方々に声を掛けられなかったことがずっと悔やまれています。私も逃げることで必死だったとはいえ,周りの方々への配慮があれば,逃げ遅れたり,命からがらの状況に見舞われたりすることもなかったかもしれません。数人の方には避難を呼びかけましたが,本当にそれだけで良かったのかとも考え続けています。




みなさんは,いざという時に助け合える方はいらっしゃいますか?
日頃からその〈つながり〉を大切にされていますか?




この被災経験を忘れることなく,あの日から私は私に何ができるのかを日々自らに問うています。そして,〈いのち〉の有り難みをしっかりと噛みしめて,〈生きる〉ことを全うしたいと思います。








最後に,当時,たくさんの方々に助けていただいたご恩に対して改めて感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。









西日本豪雨災害から1年後
現在の黒瀬川(広島県東広島市),令和元年7月6日 撮影者 住本小夜子








令和元年7月7日 住本小夜子








※1 西日本豪雨に関するトピックス,朝日新聞DIGITAL(2019.7.04 最終アクセス)
※2 「言葉という狂気」,住本小夜子のブログ,2009.04.13
※3  ※1を参照のこと。




関連記事(「鍛地頭-tanjito-」ブログ)
「副塾長,西日本豪雨により被災!!  -「思い出」が〈思い出〉になってしまった-」
「「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―」
「「平成30年7月豪雨」による「被災」を振り返って―防災教育と療育の視点を交えて―(その1)」









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posted by tanjito at 16:49| 広島 ☁| Comment(0) | 副塾長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする