2019年03月27日

新しい時代を生きるための《読み》について考える―〈語り手〉とは?【発展編】






「鍛地頭-tanjito-」の2019年度業務内容改編の告知模式図
2019年度 組織改組(業務内容改編)







〔原文〕





 僧都せん方なさに,渚(なぎさ)にあがり倒(たふ)れふし,をさなき者の,めのとや母などをしたふやうに,足ずりをして,「是(これ)乗せてゆけ,具(ぐ)してゆけ」と,をめきさけべども,漕ぎ行く舟の習(ならひ)にて,跡は白浪(しらなみ)ばかりなり。いまだ遠からぬ舟なれども,涙に暮れて見えざりければ,僧都たかき所に走りあがり,沖(おき)の方をぞ,まねきける。


『平家物語①〈全二冊〉 新編 日本古典文学全集 45』(市古貞次 校注・訳,小学館,1994年6月,p.194,傍線は小桝が施した。以下,同様である。)…a







〔訳文〕





 僧都はしかたがないので,渚にあがって倒れ伏し,幼児が乳母や母などの跡を慕う時のように,足をばたばたさせて,「これ,乗せて行け。連れて行け」とわめき叫んだが,漕ぎ行く船の常で,あとには白波が残るばかりである。まだ船はそんなに遠くはないのだが,涙に目も曇ってよく見えなかったので,僧都は高い所に走り登って,手をかざして沖の方を見やった。


前掲書a,p.194








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プロローグ




今回のブログは,前回投稿したブログ「待って!! その国語の授業!!-〈語り手〉とは何か?-【基礎編】」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.3.18)の「発展編」の位置付けに当たります。




まずは,前回投稿後の率直な感想から記述します。




前回のブログタイトル「待って!! その国語の授業!!」(傍線は小桝)がそうしたのでしょう,読者の皆様によるPV数がやや減少致しました。恐らく,「国語の授業は私には関係ない。」ということだったのでしょう。お気持ちはよく解ります。




そこで,今回はブログタイトル(メイン)を「新しい時代を生き抜くための《読み》について考える」と致しました。「新しい時代」は「一元論的トランスモダンの時代」を意味しています。※1「生き抜く」には,共同主観性や身体性を中心とする思考のフレームを有する人間存在を基底とした20世紀的な世界観を片方に睨みながら,それらと自他に認識されない「ありのままの《自己(他者)》(≒個人の〈オリジナリティー〉)を希求する《人生の旅路》」との連関性を意識して《生》を営むべく,「一元論的トランスモダンの時代」に個の,又は共同体の〈オリジナリティー〉を生成しながら《生きる》という意味を内包させました。※2そして,「《読み》」には「語りの構造読み」を媒介とする文章等の作品世界の再構築を通して,了解不能の「ありのままの《自己(他者)》」を希求する行為そのものの意味を付与しています。※3




つまり,このプロローグで申し上げたいことは,次のとおりです。




「語りの構造読み」を扱う本ブログシリーズは,単に新学習指導要領(国語)に規定された「語り手」概念の解説を目的とするだけではなく,線条性(リニア)の世界(=文字列で書かれた説明的な文章や文学的な文章等)を通して新たな作品世界を再構築する(=新たな〈読み〉を体得する)とともに,その再構築(体得)の行為は,新たな(一元論的トランスモダンの)時代を《生きる》ことを熟考する行為でもあり,したがって,読者の皆様にそうした契機を提供しご批正を頂くことも目的とするものである。




簡易に述べれば,「国語の授業の関係者だけに向けて発信したブログではなく,これからの時代を生きる全ての方々にご批正を頂こうと発信したブログですよ。」ということなのです。




そういう意味からすれば,何も解説のための作品に『平家物語』を選ぶ必要はないわけです。しかしながら,新学習指導要領(国語)の改訂に伴い,世間では「「実用的な文章」を読解することに傾注し,「文学軽視」である」との批判が沸き起こっています。ましてや古典作品(古文・漢文)の行方は如何に?




そこで,何事も「均衡(バランス)」が重要であると考える私は,解説のための作品に敢えて古文の文学作品(『平家物語』)を選定した次第なのです。(修士論文の題材が『平家物語』だったという大きな前提もありますが…(笑))「説明的な文章」も「文学的な文章」も,どちらも大切な〈文章〉です。どちらも叙述に沿って,正確に,的確に読み取る必要があり,そうした〈読みの力〉を付けなければならないのです。20世紀の「知」の構造(枠組み)は二元論から一元論へと相貌を変え,分析原理から統合原理へと移行している,※ⅰしかも,既に(さらに),時代は次のステージへとシフト(アウフヘーベン)しようとしているにもかかわらず,未だに「「説明的文章」or「文学的な文章」?」などと言っているようでは,まさにアナクロニズム(時代錯誤)の虜と化しているとしか言いようがないのではないでしょうか? そうした固定的ポストモダニズム的思考から,逸早く(自己の)思考の〈解放〉を目指すべきだと考えるのです。だから,古文の文学作品を持ってきたのです。




とは言うものの,本ブログシリーズで古文の文学作品が初お目見えするわけですから,古文そのものの分量は少なくしてあります。




それでは,『平家物語』(覚一本)の中から「巻第三 足摺」の登場人物「俊寛僧都」に視点を照射し,語りの構造と語り手の視点についてご説明申し上げたいと思います。











※1 「一元論的トランスモダンの時代」については,次のブログを参照してください。「「The パクるな!!」-ブログ類似言説の〈相対化〉-(第5回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.2.15)
※2 「ありのままの《自己(他者)》」については,次のブログを参照してください。「育児言説を〈相対化〉するーポストモダンの時代から一元論的トランスモダンの時代へー〔第1回〕」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.21) 「共同主観性・身体性―《人生の旅路》」との連関性及び「《生きる》」の意味合いについて,ここでは詳述致しません。「大衆の〈知〉を高次に統合し,新たな世界観(文化)を形成しようとする一元論的トランスモダンの時代における個の生き方(在り方)」程度の意味合いで捉えておいてください。
※3 この点については,本ブログシリーズの主題となるため,以後のブログの中で明確にしていきます。








喜界島の城久集落にある八幡神社
喜界島の城久集落にある八幡神社







語りの構造と語り手の視点




「文学的な文章」に限ったことではなく,「説明的な文章」においても,将又(はたまた),古典文学に限ったことではなく,近代文学においても同定できることなのですが,書かれた作品はその殆どが「語りの構造」を帯しています。これは,創作主体としての「作者」と表現主体としての〈語り手〉とを区別して認識するところから始まります。




本ブログの冒頭に掲げた『平家物語』(覚一本,巻第三 足摺,一部引用)をご覧ください。この場面は,登場人物の俊寛(僧都)が平家討滅の密議の咎を受け,流人として配流された鬼界ヶ島※1にただ一人,平清盛によって帰京を赦(ゆる)されず,迎えの舟に置き去りにされる語りで構成してあります。この語りからも明らかなように,「作者」※2と〈語り手〉とは明確に区別されなければなりません。仮に「作者」と〈語り手〉とが同一の人物であるとするならば,この人物は俊寛と共に鬼界ヶ島に存在していなければなりません。俊寛の一挙手一投足を〈外〉の客観的な視点から具(つぶさ)に語っているのですから。俊寛と共にあって,俊寛を観察し,その様子を語る人物。しかし,現実的には流罪の島※3にその人物が存在したとは考えられません。恐らく,実際の「作者」は,この一件の後,俊寛と同じく流人として配流された少将成経・康頼法師や平家方の御使いである基康,又は後に鬼界ヶ島を訪れ,主人の最期を看取った有王などから当時の俊寛の様子を直截(ちょくせつ)聴いたか,若しくはそれら四者が人々に語った俊寛に纏わる話を間接的に聞いたかして,その聞き書きを綴った(語った)と考えられるのです。




それでいながら,物語内容はまるで〈聞き手〉を意識するかのように語られています。ということは,「作者」とは異なる〈ナレーター〉が物語空間に存在していることになるのです。これが〈語り手〉です。〈語り手〉は物語空間において,多少なりとも顕在的であり―そうでない場合もあります―,物知りであり,偏在的・自意識的であり,自由な存在です。引用文中の下線部「涙に暮れて見えざりければ,」は〈語り手〉が登場人物である俊寛に(一瞬)同化したことを示しており,〈語り手〉がまさに自由自在な存在である―作品によっては自由でないもののある―左證となるでしょう。




このように考えてくると,古典文学だけではなく近代文学の多くの場合においても,現代のナラトロジー※4と日本の物語論とはほぼ同定できると言えるのではないでしょうか?※5少なくとも日本の古典文学作品は〈物語〉と呼んで良さそうです。








高峰の尾根に佇む一頭の鹿
山の鹿







それでは,その〈物語〉とは如何なるものなのでしょうか?




〈物語〉は,線条性(リニア)の形態を採る記述による,創作された虚構的現実です。一般に優れた「創り手」は,言葉による線条性(リニア)の世界に多種多様な「現実」のイメージを封じ込めます。そこには,時間軸を媒介とした虚構的現実世界の空間が奥行きを持って存在します。その〈現実〉の世界に主人公がいます。彼/彼女は行動し,言葉を話します。そして,彼/彼女を取り巻く環境があります。―人間関係があります。事件・出来事が起こります。―環境に左右されながら,主人公の言動は彼の心的変化に伴い,以前とは様相を異にします。それに並行して人間関係も異なった様相を示し始めます。自然への働きかけは,彼/彼女の予想し得なかったものに相貌を変ずるのです。※6このように〈物語〉においてこれらの物語内容は線条性(リニア)の世界の時間的経過に即し,〈語り手〉により虚構的現実世界の出来事として語られるのです。そうして,線条性(リニア)の世界が終焉を迎えるとき,〈語り手〉の語りも結末を迎え,虚構的現実世界も同時に幕を下ろすのです。




したがって,「読み手」はその線条性(リニア)の世界から「創り手」によって封じ込められた複雑に錯綜する虚構的現実世界を,言表を手掛かりに再構築※7していかなければならないのです。しかも,〈語り手〉による言説を辿れば,そこには〈語り手〉の欲望※8が窺えてくるのです。




ただし,ここで留意しておかなければならないことがあります。それは,先述した物語内容を語る〈語り手〉の言説における特性です。繰り返しますが,〈語り手〉は「創り手」とは異なる存在であり,物語内容を語る架空の人物です。したがって,〈語り手〉は現実に存在する人物と同様,性格や個性を有し,事象を認識する主体として存在するのです。つまり,〈語り手〉は間主観的拘束性※9により「自らが生きた時代や所属した共同体の精神及び認識(イデオロギー・共同主観)」(=時代及び各種共同体言説)に,固有の生活背景に起因する「個性化された認識」を加味した「語り」(=「自動化された内的物語」※10 以後,〈内的物語〉と表記します。また,所謂時代及び各種共同体の言説と〈内的物語〉の融合体は,〈語り手〉の独自の〈視点〉を形成するので,これを端的に「言説」と表記します。)でもって物語世界を語っているのです。例えば,登場人物はその登場人物を語る〈語り手〉の「言説」※11によって言動を制御され,〈語り手〉特有の〈視点〉でもって,その人物像が形象化されていくのです。




一方,〈語り手〉の「語り」に基づいて,「読み手」は作品世界を再構築しようとします。ところが,再構築を試みるそれぞれの「読み手」は,〈語り手〉同様,彼らが生存する時代や各種共同体の言説を基盤に生存している上に,それぞれの〈内的物語〉を有しています。すなわち,ここにおいて,〈語り手〉の「言説」(=〈語り手〉の〈視点〉)とそれぞれの「読み手」のそれらとの位相により,また国語科授業を想定した場合,それぞれの「読み手」間に生起する「言説」の相違により,「物語内容(虚構的現実世界)に対する認識のズレ/個別化された「読み」」が現象化してくるのです。※12




つまり,このように考えると,同種・類似の事象についても,それを異なった作品間で語る,様々に想定され得る複数の〈語り手〉の〈視点〉や〈語り〉の〈方法〉には位相が生じるはずなのです。無論,同様であることも想定されます。ましてや作品世界に没入する「読み手」の,同事象(同物語内容)に対する「視点」や「語り」の「方法」は,作品世界の〈語り手〉のそれとは異なりを示すはずなのです。(→この現象を,仮に「異化」と呼んでおきます。)勿論,同様である可能性もあるでしょう。(→この現象を,仮に「同化」と呼んでおきます。)このように,「読み手」が〈語り手〉の〈視点〉や〈語り〉の〈方法〉に「同化」したり,「異化」したりできる(→これを,「対象化・相対化」と呼んでおきます。また。意識的にこれらの行為を営む場合,これを特に〈対象化・相対化〉と呼んでおきます。)ならば,「読み手」は作品世界の〈対象化・相対化〉を通して多様な〈視点〉(=ものの見方や考え方≒価値観)を体得していくことになるでしょう。このことは,延いては,〈優れた読み手〉たる一つの条件となるものであると考えることができるのです。しかも,このような〈優れた読み手〉が虚構的現実世界を再構築し,〈語り手〉の〈視点〉や〈語り〉の〈方法〉を〈対象化・相対化〉する過程にこそ,文字列で書かれた作品を味わう一つのおもしろさ(=「〈読み〉の可能性」)が存在していると言えるのです。




したがって,ここにおいて,人の一生を通じて,各人が〈優れた読み手〉となるためには,学校教育における学習者それぞれの「言説」を〈対象化・相対化〉する授業構築が喫緊の課題となってくるわけなのです。








廿日市市を背景にした安芸の宮島の大鳥居と一等の鹿
安芸の宮島







ただ,上述した思考は,まさにポストモダニズムの枠組みから解放されない思考と言って過言ではありません。何度も繰り返すように,時代はポストモダンの時代から(一元論的)トランスモダンの時代へと移行しようとしています。勿論,上述したような〈読みの理論〉をすっ飛ばして,いきなり新時代の《読みの理論》を模索・体現しようとしても,それはいくら何でも無謀というものです。したがって,アナクロニズムに陥りながら,今後,新学習指導要領の名の下に,「語りの構造読み」が学校教育の中で扱われ,事の成否はさて置くとしても,新しい〈読みの理論〉として,その体得が目指されていくことになるのだと思います。




ですが,本来,それでは遅いのです。《読みの理論》は単なる線条性(リニア)の作品世界を再構築するだけのものではないのです。来たるトランスモダンの新時代において,各種共同体や自己の「ありのままの《自己(他者)》」(≒〈オリジナリティー〉)を《読む(=希求する)理論》でもあるわけです。〈読みの理論〉を介して〈相対化〉された共同体や自己は,実体を伴う他者としての共同体や他者と共創造(co-creation)(≒《相対化》から高次の段階への統合化)しながら,各種共同体としての,また,各個人としての「ありのままの《自己(他者)》」に近接していかなければならないのです。そして,その模索は人間が営む種々の領域で既に行われています。ビジネス界も然り,国語教育界も然り。そして,私も然り。




ですから,本ブログで紹介する「語りの構造読み」は,実は,時代遅れの〈読みの理論〉だったということになります。私の考える新たな《読みの理論》※ⅱについては,紙幅がどこかにあれば,披歴させていただきたいと思っています。











※1 薩摩国。鹿ケ谷の陰謀(1177年(治承元年))により,俊寛・平康頼・藤原成経が流罪にされた島。翌1178年(治承2年)に康頼・成経は赦免され京に帰るが,俊寛だけは赦されることなく,独り島に残され,悲嘆のうちに死んだ。
※2 『平家物語』は琵琶法師によって語られた文学である。したがって,同書の場合には,実体を伴った「語り手」と呼ぶ方が良いのかもしれない。
※3 『平家物語』には,当時の「鬼界ヶ島」を語る次の語りがある。引用する。
「彼島は都を出でてはるばると,浪路をしのいで行く所なり。おぼろけにては舟もかよはず。島にも人まれなり。おのづから人はあれども,此土の人にも似ず,色黒うして,牛の如し。身には頻りに毛おひつつ,云ふ詞も聞き知らず。男は烏帽子もせず,女は髪もさげざりけり。衣裳なければ人にも似ず。食する物もなければ,只殺生をのみ先とす。しづが山田を返さねば,米穀のるいもなく,薗の桑をとらざれば,絹帛のたぐひもなかりけり。島のなかには,たかき山あり。鎮に火もゆ。硫黄と云ふ物みちみてり。かるがゆゑに硫黄が島とも名付けたり。いかづち常になりあがり,なりくだり,麓には雨しげし。一日片時人の命たえてあるべき様もなし。」(前掲書a,p.154)
※4 「物語の構造や語りの機能を分析する文学理論。ロシアの民俗学者プロップによって創始された。狭義の文学のみならず,神話・絵画・映画・歴史叙述などへの幅広い適用が試みられる。」(コトバンク,「ナラトロジー(英語表記)narratologie」,大辞林 第三版の解説
※5 髙橋 亨(1992.4):「物語学に向けて―構造と意味の主題的な変換―」(『物語の方法 語りの意味論』,糸井通浩・高橋 亨編,世界思想社,p.4)
※6 ここに叙述した物語内容は一つのモデルに過ぎず,これをもって全ての〈物語〉が有する物語内容を語ったわけではない。
※7 〈優れた読み手〉によって再構築される虚構的現実世界はモノトーンの世界ではない。無臭の世界でもない。ましてやサイレントの世界でもない。そこには色彩があり,音があるのである。だからこそ,虚構的〈現実〉なのである。
※8 竹村信治(1996.3):「はなのはなし―説話と表現(1)―」(『国語教育研究 第39号 大槻和夫先生還暦記念特集』,広島大学教育学部光葉会,pp.23-33)に詳しい。
※9 「相互主観性」ともいう。「自我だけでなく他我をも前提にして成り立つ共同化された主観性。フッサールなど現象学派を中心に研究され、知識や科学・文化などは、これを根底に成立する。間主観性。共同主観性。 → 共同存在」(コトバンク,「相互主観性(読み ソウゴシュカンセイ)」,大辞林 第三版の解説) 「共同主観」も同概念を示す言葉である。
※10 難波博孝(1996.8):「自動化された「物語」から逃れるために―国語の授業でなにをすべきか―」(『日本文学』巻45,日本文学協会)に詳しい。
※11 〈語り手〉は時代言説からの制約を受けるばかりの存在ではない。時代言説を〈対象化・相対化〉し得た〈語り手〉は,時に時代言説と自己の〈内的物語〉との葛藤に大きく揺れ動く場合もある。また,果敢に時代言説に抗する場合もある。さらに,〈内的物語〉からの制約を受ける可能性が高い〈語り手〉も,自己の〈内的物語〉を〈対象化・相対化〉し得た場合には,時代言説の場合と同様,新たなる《内的物語》の生起によって感動・逡巡・当惑・葛藤などの体験を経験するのである。
※12 筆者は読みのアナーキズムに陥る無責任な読者論を肯定しているわけではない。すなわち,まず「読み手」は〈語り手〉の〈語り〉が有する「言説」を模索・接近し,そこに回帰していかなければならないのである。読みの過程を考えるならば,〈対象化・相対化〉はその段階において営まれることになる。つまり,「個別化された「読み」」(=「読みの多様性」)は,〈対象化・相対化〉の段階にあって,それぞれの「読み手」の「言説」が個に応じて変容する可能性を示唆している。


《※1~3の参考》 「鬼界ヶ島」 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』







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エピローグ




さて,次回(発展編)は「〈視点〉獲得の必要性」と「〈対象化・相対化〉の(教育的)意義」について考えてみたいと思います。と,このように告知しておいて,執拗に述べますが,本ブログシリーズは国語教育の推進のためにのみあるものではありません。私は先日「「The パクるな!!」-ブログ類似言説の〈相対化〉-(第5回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.2.15)の中で,次のように語っています。





時代状況を鑑(かんが)みるとき,現在はポストモダンが終焉を迎え,ポストモダンを超越(トランス)する時期にあるのではないかと考えるのです。ただ,それは希望的な観測であるのかもしれません。このポストモダンの終焉期に当たり,数多くの小さな価値観は鬩(せめ)ぎ合い,空洞化・形骸化しました。終焉期は人的な新たな価値観の創出のために必要なエネルギーを喪失した頽廃期とも言えます。結局,近未来は新たな価値観を創出するフィールドと凋落(ちょうらく)するフィールドとに,まずは二極分解(ここで,詳細は語りませんが,もう少し細かく見ると四分割)するのではないのかというのが,私の見方です。


注:下線は本ブログの叙述のために小桝が施しました。







下線部に,特に私の本音はあるのですが,それを見事に言い当てた言表が前掲書ⅰ(p.56)にありますので,次に引用します。





近代の個人主義は,単に一人ひとりを大切にしようということにとどまらず,さらに突き詰めて言えば,他者(としての個人)はともかくとして自分(という個人)を最も大切にしようという主張にほからなない。他者よりも自我を,他人よりも自分を,というのが近代個人主義のホンネなのである。


注:傍線は小桝が施しました。







まさに引用のとおりだと思います。「近代個人主義」の大義名分(=言説の権威性)の下,当初はまだ「小さな価値観」と呼べた各個人の「言説」も,許容社会(「独我論的傾向(前掲書ⅰ,p.56))が不幸にも進行する中で「空洞化・形骸化」し,「我執のミイラ」と化してしまいました。非常に厳しい言い方ですが,「〈鄙陋(ひろう)〉の残滓(ざんし)の大衆化」と言っても良いのかもしれません。かと言って,一方では,生き残った「小さな価値観」間の矛盾を〈矛盾〉として内包したまま,それらの統合化を図り,高次の文化(ステージ)を共創造しようとしている人たちも現に存在しています。ただ,どちらにせよ,―「 〈鄙陋〉の残滓の大衆化 」から自己(各種共同体)を解放するにせよ,共創造による高次の文化創造に専心するにせよ,―〈視点〉の獲得と〈対象化・相対化〉の営為は不可欠だと断言できるのです。それらの営為は混迷を極めるポストモダンの終焉期に存立する複雑多岐な社会システムを「システム思考」で乗り切る〈方途〉をきっと授けてくれるに相違ないからです。




このように考えてくれば,本ブログシリーズの最終目的が単に国語教育の推進にのみあるだけではなく,一元論的トランスモダンの時代を見据え,高次の文化創造を目途に,20世紀的な「知」の止揚(アウフヘーベン)・統合化を図る〈在り方〉を提示し,人世からのご批正を頂こうとしていたことにあることがお分かりいただけたかと思うのです。







【参考文献】




※ⅰ 長尾達也(2001.8):『小論文を学ぶ―知の構築のために―』(山川出版社):本書は「20世紀的「知」の構造」を学ぶのに適しているだけではなく,巷間の小論文試験対策本とは異なる異色の所謂小論文参考書です。
※ⅱ 田中実・須貝千里・難波博孝(2018.10):『21世紀に生きる読者を育てる 第三項理論が拓く文学研究/文学教育 高等学校』(明治図書):本書は「文学研究,とりわけ近代文学研究と国語科教育の実践/研究の停滞・混迷を超え,ポスト・ポストモダンの時代を拓いていくため」(「まえがき」より)に示唆を与えてくれる点で有益であると言えます。







【参考論文等】










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2019年03月18日

待って!! その国語の授業!!-〈語り手〉とは何か?-【基礎編】


【架空の国語科教科書教材】




タイトル:ジャイアンツ,優勝に向かって突き進め!!




 広島東洋カープのセリーグ3連覇を牽引してきた丸佳浩選手がFAを宣言!!
 この度,新天地となる読売ジャイアンツ(以下,「ジャイアンツ」と表記)に入団しました。
 やった~!! 万歳~!! これで今シーズンのジャイアンツの優勝は間違いありません。
 噂によると,原監督は,丸選手がジャイアンツに入団することを一つの条件に,3年間,努力と忍耐を続けた高橋監督の後を引き継ぐことにしたとか。主力の阿部慎之助・坂本勇人両選手などは,丸選手のFA宣言に対して「勇気ある決断。尊重します。共に優勝を目指しましょう。」と歓迎しています。
 ジャイアンツのユニフォームがばっちり似合う丸選手。先日の日ハムとのオープン戦では,右中間への大飛球をジャンプ一番!! バランスを崩しながらも好捕。白球が収まったグラブを高々と差し上げる雄姿を披露しました。頼れる男が,今度はジャイアンツを優勝に導きます。
  がんばれ!! 丸佳浩!!  頑張れ!! ジャイアンツ!!




問 傍線部①,②の作者の気持ちを説明しなさい。




筆者注:上記の文章は「架空のスポーツルポルタージュ(のつもり)」です。
文章中の話材については,筆者が創造したものであり,完全なフィクションですので,お間違えのないようにお願い申し上げます。








マツダスタジアムでカープを応援するファンが上げた真っ赤なジェット風船
広島東洋カープを応援する真っ赤なジェット風船







0 プロローグ




生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」の塾長,小桝雅典です。




今回のブログは,「塾長の修士論文の内容が新学習指導要領及び解説の国語編に!!」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.28)を受けての第1弾となります。




ブログの目的は,今次改訂となった主に高等学校新学習指導要領の国語に導入された「語り手」の概念を解説することにあります。ただし,この解説は学校教育にのみかかわるものではなく,新たな〈読み〉の世界を再構築する意味において,読書行為を行われる全ての皆様にお役立ていただけるものでもあると考えております。しばらくお付き合いのほど,よろしくお願いいたします。







1 架空の授業




そこで,早速ですが,解説に移ります。




まず,様々な仮定条件を列記します。





  • 本ブログの冒頭に誠に稚拙なスポーツルポルタージュ(のつもり)を用意いたしました(恥ずかしい~)。 このルポルタージュの「作者」は私(小桝)です。

  • 私は売れないスポーツライターです。稼ぎが殆どなく,苦しい経済状態です。このような私に,ある日,「丸佳浩選手とジャイアンツを称賛し,今シーズンの優勝を期待する記事を書いてくれないか。」との依頼がありました。依頼主は大手の出版社さんでした。

  • そして,このルポルタージュが小学校高学年の検定教科書の教材に採録されました。(絶対にあり得ないことですが…(汗・笑) )




さて,この教科書教材が,とある小学校高学年の国語の授業で扱われていたとします。活発な学級のようです。大勢の児童が担任の先生の発問に,「はい。」と大きな声で,挙手をして,発言の機会(チャンス)を待っています。




そのときの先生の発問は,次のようなものでした。




「このルポルタージュの「作者」はどんな気持ちで「がんばれ!! 丸佳浩!!」(傍線部①)と書いたのでしょう?」




「頑張れ!! ジャイアンツ!!」(傍線部②)から,「作者」のどのような気持ちが読み取れますか?」




筆者注:児童生徒に問いかける場合,確認の質問と発問にはレベル差を付けます。しかも,発問にも補助的な発問とメインの発問とがあります。当然,レベル差があります。通常,メインの発問は一つの内容を問います。ここでは,解説の便宜上,二つのメインの発問を行っています。




児童たちは純真な心で明るく,元気に答えました。




〔傍線部①について〕





  • 「作者」は丸佳浩選手の大フアンです。

  • 「作者」は丸佳浩選手に活躍してもらいたいと思っています。

  • 「作者」は丸佳浩選手に頑張ってもらって,ジャイアンツに優勝して欲しいと思っています。

  • 「作者」は,丸佳浩選手が阿部選手や坂本選手など,他の選手たちと仲良くなって欲しいと思っています。

  • 「作者」は丸佳浩選手を頼みにしています。

  • 「作者」は丸佳浩選手を格好いいと思っています。




など




〔傍線部②について〕





  • 「作者」はジャイアンツのことが大好きです。

  • 「作者」は,今シーズン,ジャイアンツに優勝して欲しいと思っています。

  • 「作者」は,今シーズンこそ,広島カープを打ち負かして,ジャイアンツが優勝できると思っています。




など




これらの言葉を聴いた先生は,次のように児童の発言を評価しました。




「そうですね!! みなさん,「作者」の気持ちをしっかりと読み取りましたね!!」








白い雲を見下ろし青い空に浮かぶ4つの白い「?」







2 待って!! その国語の授業!!




この国語の授業って,何だかおかしくないですか?




「そうですね!! みなさん,「作者」の気持ちをしっかりと読み取りましたね!!」




「いいえ,しっかりと読み取っていません。」







「作者」は売れないスポーツライターの私(小桝)です。
「えっ!? 私ですか?」




「私は大のカープフアンです!!」




つまり,「作者」はアンチジャイアンツの熱狂的なカープフアンなのです。(ジャイアンツフアンの皆様,誠に申し訳ございません。)食べる物にも事欠く始末で,成長期の娘もいる。考えに考えた挙げ句,金銭のために止む無く,とても残念で辛いけれど,日本全国の数多くのカープフアンを裏切り,溢れ出す涙を必死に堪(こら)え,「(鈴木)誠也,ごめん,緒方監督,申し訳ございません。」と咽(むせ)びながら,仕舞には思い余って,虎の咆哮(ほうこう)張りの雄たけびを張り上げ,断腸の思いで,このルポルタージュを綴った「作者」は,紛れもない〈カープ命〉の私(小桝)なのです。








「鍛地頭-tanjito-」塾長の小桝雅典
塾長 小桝雅典
セリーグ4連覇!!
頑張れ!! 広島東洋カープ!!
(副塾長:この写真を使い回し過ぎです!!)








カープオープン戦を応援後の塾長(対 オリックス・バッファローズ 2019年3月17日 於 マツダスタジアム)
(塾長:ほんなら,これ!!
この日,寒かったわ~,両軍とも打線も寒かったし(#^ω^))
広島カープオープン戦
2019.3.17 於 マツダスタジアム
対オリックス・バッファローズ
カープ命!!







〔傍線部①について〕




確かに,「作者」である私(小桝)は,丸佳浩選手を良い選手だと思っています。打席後,好打/凡打にかかわらず,ベンチで真摯(しんし)にメモを取る姿勢などは,分析的・知性的で好印象を受けます。それでいて/だからこそ,優れた身体能力も相俟って,パワフルで,かつ,ワンプレーが緻密で高技術の体得者ときているので,かなり痺れますね。ですから,他球団に所属しても,日本球界を背負うプレーヤーとして,益々活躍して欲しい選手の一人だと思います。




ですが,そうかと言って,正直なところ,丸佳浩選手にジャイアンツを牽引して欲しくないですね。まあ,優勝は無理でしょうけど(ジャイアンツフアンの皆様,誠に申し訳ございません。優勝は,今シーズンもカープです),丸佳浩選手の活躍で優勝してもらっては困る。(心の狭い私……。)抑々(そもそも),選手の育成(=教育)ができないからと言って,金で選手を獲得するような球団が優勝しては,日本のこどもたちの〈教育〉に宜しくない。「プロ野球の世界なのだから,金で解決するのは当たり前だ!! そういうことをこどもに教えることも大切だ!!」という言説があるとしたならば,それは,正に「プロ野球言説」の権威性に完全に回収されてしまった姿と言えるでしょう。私が〈相対化〉いたします!! 




あっ,つい,カープのことになると,見境がなくなってしまう!! 申し訳ございません。話を元に戻します。




「このルポルタージュの「作者」はどんな気持ちで「がんばれ!! 丸佳浩!!」(傍線部①)と書いたのでしょう?」




「作者」である私(小桝)の気持ちは,上述したとおりです。丸佳浩選手のフアンではあるし,活躍していただきたいとも思っているし,ジャイアンツの他の選手たちとも仲良くしていただきたいし,総じて格好いいとも思っています。ですが,丸佳浩選手の活躍で,ジャイアンツに優勝して欲しいとは,これっぽっちも思っていないのです。







〔傍線部②について〕




「頑張れ!! ジャイアンツ!!」(傍線部②)から,「作者」のどのような気持ちが読み取れますか?」




「作者」である私(小桝)がジャイアンツを好きなわけがない。優勝なんぞして欲しくもない。ジャイアンツがカープを打ち負かすだって!? 今シーズン,ジャイアンツはカープに1勝もできないんじゃないのう~。これが「作者」である私(小桝)の気持ちです。







〔傍線部①・②より〕




だから,申し上げているのです。
「待って!! その国語の授業(当該の発問)!!」「この国語の授業(当該の発問)はおかしいですよね。」って。




しかし,決して児童が悪いのではないのです。
発問が悪いのです。すなわち,(担任の先生の)教材(作品)に対する〈読み方〉がおかしいのです。








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3 「語り手」の存在




ここまでのお話で,何かお感じになることがございませんか?
何度も申し上げますが,「作者」である私(小桝)はカープフアンです。しかし,それにもかかわらず,上掲の作品世界(「架空の国語科教科書教材」)は,ジャイアンツフアンと思われる(もしかすると,そう見せかけている)誰かによって語られていますね。だから,ストーリーが冒頭の「広島東洋カープのセリーグ3連覇を牽引してきた…」から始まり,「…頑張れ!! ジャイアンツ!!」まで展開する(流れる)わけです。私たちには視認できない誰かが,作品世界の中に入り込んで,丸佳浩選手とジャイアンツを称賛しているのです。




それは恰もテレビや映画等のドラマのようです。ドラマの主人公を演じる俳優/女優さんたちや脇役等の俳優/女優さんたち。それに,エキストラの方々など,これらの方々はドラマの視聴者には〈見える存在〉として設定してあります。線条性の文字列が織り成す物語などで言えば,「登場人物」のことです。ですが,ドラマの中には「主人公の淳が小学生の頃だった。ある日,隣で飼っていた犬がいなくなり,…」など,そのドラマの時代や出来事などを要所要所で語ってくれる〈見えない存在〉の「人」がいます。そうした〈存在〉は何もドラマの世界だけではなく,「日本の風物詩」など登場人物はいないのに「語り」だけで進められていくテレビ番組の中にもいます。それと同じ〈存在〉です。よくスクリーン(テレビ画面)などの右下か左下に字幕スーパーとなって紹介される〈存在〉です。そうです。「ナレーター」とか「語り手」とかと書いてある〈存在〉のことです。




上掲の作品世界(「架空の国語科教科書教材」)にも,こうした〈見えない存在〉の「語り手」(「ナレーター」でも構いませんが,新学習指導要領には「語り手」と表記されています。)がいたのです。この作品世界の場合,「語り手」の性別はよくわかりません。ですが,どうもジャイアンツフアンのように思えます。しかし,もしかすると,「読み手(聴き手)」にはジャイアンツフアンと思わせておいて,本当はカープフアンである可能性もあります。その場合の「かたり」は「騙(かた)り(だます意)」になります。




要するに,ここでのポイントは,「(文学作品だけに限らず,)線条性の文字列の世界には,その文章のジャンルを問わず,「作者」と明確に区別される「語り手」が存在し,その「語り手」が作品世界を語っている」ということなのです。




まずは,基礎的な大前提として,この「語り手」なる〈存在〉を記憶に留めておいていただきたいと思うのです。








2018年日本シリーズ第1戦でカープを応援する前,ヒーローインタビューの水掛けを模したボードの前で万歳をする塾長
今シーズンこそ,日本一!!
(副塾長:この写真も使い回し過ぎです!!)







4 エピローグ




本ブログをお読みくださって,「文字列となった様々なジャンルの文章に「語り手」が存在することは分かった。しかし,それを知って,一体何になるのか?」「「語り手」の概念(「語りの構造読み」)を学校教育に導入する教育的効果は何なのか?」など,種々の疑問が湧出してきた読者がおいでのことと拝察いたします。それらの点につきましては,今回,それぞれのご質問に対して,「とても有益です。」「とても大きな教育的効果がございます。」など,極論すれば,「人間性の涵養に資するものです。」とだけ申し上げておきたいと思います。




本ブログシリーズも長期化の予感が致しております。上述のご質問は,本ブログの究極の目的でもございますから,追々,のんびりとお話させていただければと思います。




なお,今回と同様のテーマで,現在,『平家物語』を教材とした【発展編】を執筆中です。今しばらくお待ちください。




今回は,ここまででございます。







【参考】




「語りの構造を踏まえた読みの授業に関する研究―古文の授業構築を中心に―」(小桝雅典,1998(平成10)年度 広島大学大学院教育学研究科 教科教育科学専攻 国語教育学 修士論文)




【関連】














余話








尾道浪漫珈琲 福屋広島駅前店(地上10階)から臨む広島駅前の光景
尾道浪漫珈琲 福屋広島駅前店(地上10階)から広島駅前を臨む







平成31年2月28日(木),午前10時45分頃。
今日は久し振りに広島市内に出て来ました。
かつての職場があった街。
もう遠い記憶の彼岸にそれはあります。




私は新任の教員時代を尾道で過ごしました。
尾道を離れてからも,時折,尾道商店街を彷徨いました。
その時には,尾道浪漫珈琲によく立ち寄ったものです。




福屋広島駅前店に支店ができていたことをずっと知らずにいました。




書物を求めてジュンク堂をうろついていた私は,
ふと「尾道浪漫珈琲」と書かれた看板の文字を目に留め,
思わずカウンターの端の席に座りました。




丁寧に淹れられたモーニングコーヒーは,
懐かしい尾道の香りがしました。




私の隣の席には,
いつのまにやら,青年教師時代の私が座っていました。
精悍な目つきの生意気そうな奴です。




私はそいつを一瞥して,
そいつにはわからないように,
「ぷっ」と吹き出してしまいました。




「がんばれよ!! 時空の歪んだパラレルワールドの分身よ。」
そう声を掛けた時には,
すでにそいつの姿はありませんでした。




「こいつも,この先,苦労するんだろうなあ。」
「そして,生徒のために人生を賭した大勝負に出る。」
「今度は勝てよ。」




電子書籍を読み終わりました。
まだ随分と時間があります。
青年教師が立ち去って行った懐かしい尾道の香りがする
苦くて甘いコーヒーを啜りながら,
私はこのブログを綴ることにしました。



posted by tanjito at 19:52| 広島 ☁| Comment(0) | 「鍛地頭-tanjito-」の国語教育論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月06日

時間感覚を養うスケジュール管理―軽度自閉スペクトラム症の息子の場合―


「集合時間に遅れるよ!!」
毎朝,息子の身支度の際に必ず口をついて出る一言。




早めに起床しても,どうしてもバタバタとしてしまう…。
やるべきことは理解できているのに,スムーズに事が進まない…。




その原因は,息子の「時間感覚の認識」にありました。







1 「今,6時59分よ。」








白地に黒のアナログ時計







私には,「このペースなら間に合う」「あと何分だから急がないと!」という時間感覚があります。
一つの物事に対し,それぞれどの程度の時間を要するのかといった,行う物事に対する「時間の経過」の認識ができているからです。




しかし,息子はその「時間の経過」の認識が乏しい。
したがって,「間に合う」「間に合わない」という予測ができません。




6時59分を表示している時計があるとします。
「もう少しで7時になるよ。」と息子に伝えても,息子には「もう少し」という時間がどの程度なのか分かりません。1分という時間が,長いのか短いのかという感覚がないのです。なぜならば,「できた」か「できていない」か,もしくは,「ある」か「ない」かといった0か100しかないからなのです。




現在の時刻に対する認識の仕方は,その左證と言えます。時計の文字盤に「6時59分」と表示されているとき,私は「もう7時だ」と思いますが,息子にはそのような認識がありません。6時59分は6時59分でしかないのです。それは,デジタル時計でもアナログ時計でも同じであり,たった1分であっても多少の誤差として丸め込むことができないのです。現在が何時であるかという理解はできますが,時間の流れに対しての理解は難しく認識に困難を伴います。







2 スケジュールボードを改変




これまで使用していたスケジュールボードは,朝と夜に取り組む「やることリスト」を(朝と夜とに)分けていただけでした。








自閉スペクトラム症の男児が,スケジュールボードを使い身支度をする様子
初代スケジュールボード








ホワイトボードをと両面マグネットを活用したやることリスト
2代目スケジュールボード







実は,【自閉症スペクトラムの息子のやる気を引き出すスケジュール管理】(住本小夜子,当塾公式ホームページ,2018.9.17)の記事を公開してから後,ホワイトボードが損壊し,新しく買い替えて2代目スケジュールボードを活用していました。ところが,使用していくうちに,決められたルーティンの行動を行う順序が分かりにくいという課題に気づいたのです。







そこで,ルーティンの行動を記したマジックを上から下へ流れるように配置し(時間概念の直線的な視覚化),それぞれを行う目標時刻(行動の区切り)を書き込んでみました。




筆者注:神経発達症(これまで「発達障害」とよばれていたもの)のこどもたちの多くは,同時に複数の認識・行動が難しい傾向にあります。息子の場合,私の日頃の観察から,二つの認識・行動は可能ではないのかといった見立てがありました。そこで,「時刻(時間概念)」と「ルーティンの行動の完遂(行動に区切りを付けること)」との二つの認識(時間を認識することと現在行っている行動を認識すること)・行動(時刻を読むことと現在行っている行動)を連関させてみることにしたのです。








朝と帰宅後に取り組むことを分かりやすく順番に並べたボード。
改変第一弾のスケジュールボード(3代目)







息子の視覚により「新しいもの」と捉えられた3代目のスケジュールボード。
この様式(スタイル)を初めて使用した日,息子の行動はスムーズでしたが,翌日に奇妙な行動が現れます。




「パジャマのかたづけ」(目標時刻 6:20)までを早々に終えた息子が,体操座りをして,スケジュールボードが置かれた部屋のラグの上に座っているのです。




私 :「何しとるん?」
息子:「……待っとる。」
私 :「何を待ってるの?」
息子:「次にやることの時間になるのを待ってるんよ。」
私 :(なにーーーーーーー?!?!?!?!?!?!?!)




そうなのです。「6時25分に朝ご飯」と言われたら「6時25分に朝ご飯」なのです。目の前に準備されていても手を付けようとしません。




私 :「時間になってなくても,食べていいんよ。」
息子:「えっ?! 食べていいん?!」
私 :「(スケジュールボートを指さしながら)この時間は遅れないようにしようという目標であって,この時間にならないとやってはいけないということではないんよ。」
息子:「そうなんじゃ~。」
私 :「だから早く終われば次のことをしてもいいんよ。」
息子:「わかったー。」




というわけで,次の改変に取り掛かるわけです。







3 時間感覚を一緒に覚えられるスケジュールボード




時刻をペンで記入していましたが,(時刻を記入した)両面マグネットに変えました。(「よる」は帰宅時間が定まっていないので,時刻指定はしていません。)加えて,やることリストの裏面を「できた」という表示に変更しました。マグネットに書かれた時刻が過ぎれば,息子はそのマグネットを裏返さなければなりません。また,ルーティンの行動が終われば,そのマグネットを裏返し,「できた」の文字を視認するのです。








朝と帰宅後に取り組むことを分かりやすく順番に並べたボード。
改編第二弾のスケジュールボード(4代目)








改変のポイントは,「時刻」と「やることリスト」はそれぞれで機能するという点です。現在,息子に重視してもらいたいのは,あくまでも時間概念の認識であって,すでに覚えている「やることリスト」は以前より簡略化されています。








朝と帰宅後に取り組むことを分かりやすく順番に並べたボード。
時間と取り組みが並行して進んでいる場合







目標の「時刻」と連動して「やること」が進んでいる場合は,「時刻」と「やることリスト」の間にズレはありません。








朝と帰宅後に取り組むことを分かりやすく順番に並べたボード。
時間よりやることリストの方が早く進んでいる場合








朝と帰宅後に取り組むことを分かりやすく順番に並べたボード。
取り組みより時間が先に進んでいる場合







上記のように,「時刻」と「やること」との間にズレが生じると,スケジュールボードの表示にも見掛け上のズレが生じます〔ズレを視覚化する〕。




改変に改変を重ねた新たなボード(4代目)の使用方法を,実際にやってみせながら,息子に説明しました。息子は「時刻」と「やること」を別々に管理することをしっかりと認識しましたが,同時に2つのことを行うという難しさも感じています。息子には「あれもこれも一緒にできない」という特性があるのですが,あえて難易度の高いレベルに挑戦させてみようと思いました。なぜならば,それが息子の成長につながると考えたからです。




そして更に,目覚まし時計として使用している「アナログ時計」と,これまで使用していた「タイムタイマー」とをボードの横に設置しました。「アナログ時計」は時間が半永久的に動いているという長い時間の経過に関する視覚化を狙い,「タイムタイマー」は少し長い時間を要するルーティンの行動に対して,「じゅんびOK」までの時間を認識させるために使用します 。




つまり,アナログ時計は「時間が進んでいる」,タイムタイマーは「時間が減っている」ということであり,「時間が進むということは,時間が減っている」という時間感覚を息子に認識させる目的があります。




デジタル時計では1から2,2から3という文字盤(数字)の瞬間的な動きだけですが,「アナログ時計」にすると秒針・短針・長針とそれぞれの動きが見えるので,「時間が進んでいる」という認知ができます。「時間の感覚を身につけるのにも,時間が可視化されているアナログ時計は役に立つ」と言われています。








視覚化してあるタイマーと時間を覚えるための置時計
「タイムタイマー」と「目覚まし時計」













4 新たなスケジュールボードに挑戦




実際に,改変した「スケジュールボード(4代目)」,「アナログ時計」,「タイムタイマー」を使って朝の支度に取り組んでみました。すると,以前までは,時間が過ぎても焦ることをしなかった息子が,自らの行動が目標の時刻に追い付いていない時に,「時刻」のマグネットが多くひっくり返っていることに対して,どうやら違和感を覚えたようなのです。その結果,目標時刻にルーティンの行動が追いつくようにキビキビとした行動をとるようになったのです。








自閉スペクトラム症の男児が,スケジュールボードを使い身支度をする様子
スケジュールボードを使用し,朝の支度をする息子







新しくなったスケジュールボードを使用し始めてから,(現在のところは,)「(動きが)止まっているよ!」「早くしないと!」「遅れるよ!」といった私の切羽詰まった声掛けが無くなっています。それまであえて気に留めようとしていなかった時計の動きをも,息子は自らがしっかりと確認するようになり,「時間=動き(時の動きとルーティンの行動の動き)」として認識できているようです。




ただ,正直なところ,こちらから何もアクションを起こさない訳ではありません。息子のその日の状態を見て,目標時刻の2分前と目標時刻に到達した際に「時計を見てますか?」「今,何時ですか?」と冷静に声掛けを行う場合があります。2分前の声掛けは,前もって知らせることで,行動ができなかったためのパニックを防ぐ効果があります。また,目標時刻に声掛けを行うことは,現状(目標時刻に達していることとその刹那に行っているルーティンの行動)を認知させ,次の行動を促す効果があります。




このように,日常生活の中で地道に繰り返し訓練することで,時計を見るという習慣を身に付け,時間感覚を養うことは可能です。このことについての詳細は,次章で触れることにします。




なお,上述した実践は,あくまでも息子の場合です。お子様個々の個性は異なりますから,同じように実践されても効果が薄い場合もあろうかと存じます。あらかじめご諒解ください。








自閉スペクトラム症の男児が,スケジュールボードを使い身支度をする様子
目標時間までに準備ができた息子







5 心理学と医学から認知を考える




認知心理学の研究において「人間の心理的過程」があり,その過程で重要な要素は「認知機能」だと言われるようになりました。この研究結果が報告されるまでは,「知覚・感情・行動」の3つが研究の対象だったのです。




【人間の心理的過程】
1 知覚(見る・聞く・味わう・匂う など)
2 認知(判断・評価・分析 など)
3 感情(嬉しい・怒り・悲しい など)
4 行動(歩く・食べる・~する・~しない など)




人間は行動に移るまでの間に,知覚→認知→感情→行動という過程を経ます。上述した内容を,息子のスケジュール管理に当てはめてみると,
1 知覚(時計を見る,スケジュールボードを見る,タイムタイマーを見る)
2 認知(今,何時か,どこまで進んでいるのか,残りの時間はどれだけか)
3 感情(慌てる,頑張る,安心する)
4 行動(急ぐ,のんびりする)
となるのです。




また,児童精神科医・北海道大学大学院保健科学研究院 生活機能学分野 傳田健三教授の論文に以下のような記述があります。





1 .心理社会的治療
Rutter21)は ASD の治療の主な目的を以下の 4つにまとめている.
1)認知,言語および社会性の正常な発達を可能な限り促進,刺激すること.
2)硬直性,常同性,柔軟性のなさのような自閉症と関連した不適切行動を減らすこと.
3)多動,刺激性,衝動性などの非特異的な不適応行動を減らす,もしくはなくすこと.
4)家族のストレスと負担を軽減すること.



21) Rutter M:The treatment of autistic children. J Child Psychol Psychiatry 26:193‒214, 1985


「特集:心身医学の臨床における発達障害特性の理解 自閉スペクトラム症(ASD)の特性理解」(傳田健三,日本心療内科学会誌 Vol. 57 No. 1. 2017,https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpm/57/1/57_19/_pdf







息子が取り組んでいるスケジュール管理は,「人間の心理的過程」と「心理社会的治療」に対し合理化していると言えます。私は,家庭を中心とした認知機能訓練を各種機関と連携し,幼いころから実施することで,社会(学校や職場など)での困難を軽減することができると考えています。







6 工夫次第で何とかなる!!




小学校に入学してから,規則正しい生活のおかげで(波はありますが)幼稚園の頃に比べると結構落ち着いている息子。しかし,気になることはありました。それは,「今やるべきことを見失ってしまうこと」です。いつもと同じ場所にスケジュールボードがあるのに突然スケジュールボードの存在を忘れてしまったり,「〇〇をやる」と言った矢先に他のことに気を引かれ「△△をやっている」ということが,よく目につくようになりました。




そこで頭をよぎったのは「注意欠如・多動症(AD/HD)」です。昨年(平成30年)8月の時点で,定期通院している広島市こども療育センターの担当医に相談しておりました。次の通院が同年12月でしたので,それまでの様子をしっかり見てから診断してみようという話になったのです。




その間,私はメンタルケア心理士®の勉強をしていたのですが,学習領域に「精神医科学(精神医学)」があり,その中で「神経発達症」を学びました。学んだテキストには,DSM-5(米国精神医学会の「精神疾患の診断・統計マニュアル」)による診断基準も記載されており,私の見立てが立証されたと思いました。




普段の息子の様子から,注意欠如・多動症(AD/HD)の中でも,注意欠如が優勢であると判断できたのです。そのことは,その後,12月に療育センターの担当医に提出した診断テストにおいても明らかでした。




診断テストの結果は,「不注意=16点」「多動=8点」合計で24点。合計20点を超えると,注意欠如・多動症 (AD/HD)と診断されます(現段階では正式な診断書はいただいておりません)。息子は「注意欠如・多動症―不注意優勢型(ADD)」です。




「工夫次第で何とかなる!!」




そう強く断言したのは,担当医でした。
その理由は「多動が強く出ている場合は薬の処方も考えるけれど,不注意優勢であるならば,生活環境の工夫で乗り切れることが多い。」というものでした。もちろん,私も同意見でした。




これからも,息子の状況をしっかりと見立てながら,その時々の状況に合わせてスケジュールボードをさらに改変していきたいと強く思ったのでした。




ただ,あくまでも,スケジュールボードの改変は,一つの取り組みに過ぎません。息子には,これから生きていく(〈自立・自律〉する)ためのいろいろな力をつけていかなければなりません。




そのためにも,試行錯誤と訓練の繰り返しの日々が,息子の自律スキル,ソーシャルスキル等を高めていくのだと思います。(その成果が少しでも出れば,母子ともに嬉しいものですよね。)周りの方々に助けていただきながら,そしてたくさんの情報を取り入れ,将来をしっかりと見つめながら,こどもたちの〈自立・自律〉に向けて取り組んでいきたいと思います。




次回は,〈自立・自律〉について記述いたします。







追記




【自閉症スペクトラムの息子のやる気を引き出すスケジュール管理】(住本小夜子,当塾公式ホームページ,2018.9.17)の記事では,息子のやる気を引き出すために,スケジュールボードの活用とトークンシステムについて報告させていただきました。しかし,今回,スケジュールボードの改変に当たり,息子と話し合った結果,シールをご褒美とするトークンシステムを用いないことに致しました。小学2年生になるに向けて,「シールのご褒美」は〈卒業〉を迎えたのです。




息子:「ご褒美のシールは要らんよ。2年生になるから。ご褒美はかあちゃんが褒めてくれたらいい。」




私は,実質,次のトークンシステムに組み込まれたのです(笑)








兄7歳,妹3歳。寄り添って寝る様子。
いつも寄り添って寝る息子と娘







【参考】










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posted by tanjito at 16:29| 広島 ☔| Comment(0) | 「鍛地頭-tanjito-」の教育論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする