2019年02月19日

「The パクるな!!」-ブログ類似言説の〈相対化〉-(第5回)


e 類似言説の〈相対化〉



(a) 「まねぶ(学ぶ・真似る)」≠「パクる」



とても3才のお子さんの所作とは思えない動画です。
一挙手一投足をじっくりとご覧ください。




お部屋の埃取りをする娘さん



可愛らしさだけではなく,自然なのですが,計算された動きを感じるのは,私だけでしょうか?
この動画を見る度に,「よっ! しっかり者!!」と声を掛けたくなります。




生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」の塾長,小桝雅典です。




実は,この動画の中の女児は,当塾の住本副塾長の娘さん(3才)なのです。
副塾長がこの動画をフェイスブックにアップしたところ,平成31年2月19日(火)現在で,「いいね」を「342」も付けていただき,コメントのやり取りも「108」となりました。副塾長としてはその事実に驚きを隠せず,また大変喜んでもいます。頂いた心温まるコメントは,次のような主旨のものでした。





  • とても可愛い。

  • 驚くほど手際が良い。

  • 親の背中をしっかりと見ている。

  • お母さんの教育が良いのではないか。




このように,娘さんの可愛さと掃除の手際の良さ(物を避(よ)けておいて,埃取りを行うなど)をお褒めいただいたもののほか,「親の背中を見て子は育つ」というものが多かったようです。




そうなんです。娘さんは,お母さんである住本副塾長を毎日しっかりと見つめていたのです。特に,お母さんが掃除をする姿が印象的だったのか,将又(はたまた),お母さんの言動の全てを確(しか)と脳裡(のうり)に焼き付けていて,自身ができそうな掃除を見よう見まねで行ったのか。それにしても,娘さんが掃除を行う所作は,お母さんとそっくりです。私は,日頃,几帳面で手際のよい住本副塾長が掃除する姿を感心してよく観察していますから,間違いありません。お母さんの生き写しですね。ですから,普通ならば,「お母さんが娘さんに掃除の仕方を教えたのだろう。」と考えるところです。「3才のお子さんに掃除の英才教育!?」なんて。ですが,誠に個人的な話になり,恐縮なのですが,私も住本副塾長も「英才教育」には大反対ですから,その可能性は「0」なのです。脳科学の見地からも「英才教育はよくない」とする研究者もおられます。




「住本副塾長は娘さんに掃除の仕方を一切教えていない!!」




これが事実です。




正(まさ)に,「まねぶ」※1です。すぐに同源の「まなぶ(学ぶ)」が連想されますね。模範となるものを真似し,体験を経験化することによって知識や技芸を得ていくことと解(かい)されます。勿論,師匠等から直接教えを身に付ける意も,この言葉にはあります。ですが,娘さんの場合は如何(いかが)ですか? 住本副塾長は娘さんに掃除の仕方について,直接,教えた事実はないのです。繰り返しますが,この場合,知識や行動の体得に「真似」の要素しかないのです。やはり「まねぶ」です。ただし,デジタル大辞泉(小学館)によれば,「まねぶ」には,「見たこと聞いたことをそのまま人に語る。」意があります。つまり,「横流し」です。因みに,同辞書には「ぱくる」の語意は「人のものをかすめ取る。かっぱらう。」「他人の作品・アイデアを,自分のものとして発表する。盗用する。剽窃(筆者注 読み「ひょうせつ」)する。」があるとしています。そこで,読者の皆様に質問です。




娘さんの掃除に係る行為は,お母さんの行為の「横流し」,あるいは「ぱくり」だと表現して良いですか?




如何でしょうか? 言わずもがな,正解は「NO!!」ですね。飽くまでも「まねぶ」です。「学び(学習)」なのです。それも自発的な。




つまり,このように考えてくると,「まねぶ(真似る)」ことは,決して「横流し」でも「ぱくり」でもないのです。「真似ること」は「パクること」とは異なる概念なのです。〔真似ること≠パクること〕




【参考】





まね・ぶ【▽学ぶ】
[動バ四]《「まなぶ」と同語源》
1 まねをする。まねをしていう。
「鸚鵡、かねて聞きしことある大隊長のこと葉を―・びしなりけり」〈鴎外・文づかひ〉
「みどりごの絶えず―・ぶも」〈かげろふ・上〉
2 見たこと聞いたことをそのまま人に語る。
「この夢合ふまで、また人に―・ぶな」〈源・若紫〉
3 教えを受けて身につける。習得する。
「琴、はたまして、さらに―・ぶ人なくなりにたりとか」〈源・若菜下〉


コトバンク 学ぶ(読み)マナブ デジタル大辞泉(小学館)





ぱく・る
[動ラ五(四)]
1 大きく口をあけて食べる。ぱくつく。「おむすびを―・る」
2 人のものをかすめ取る。かっぱらう。「手形を―・る」
3 他人の作品・アイデアを、自分のものとして発表する。盗用する。剽窃する。
4 犯人などをつかまえる。検挙する。逮捕する。「現行犯で―・られる」
[可能]ぱくれる


コトバンク ぱくる デジタル大辞泉(小学館)




【※1関連】




「「学ぶこと」,「まねること」,「参加すること」」(住本小夜子,当塾公式ホームページ,2018.6.4)




自分の履いたシューズを洗う息子さん



娘さんの「まねぶ」の態様に似た「学び」で,私が連想するものがあります。それは中世ヨーロッパの都市,ギルドに存在し封建的労使関係が紡いだ「徒弟制度」です。(勿論,その制度を維持するためにギルド共同体が構築した身分秩序を,「身分制」として肯定するものではありません。)ここ数年来,日本でも採り入れられている「デュアルシステム」をその一方で根幹となって支える「徒弟制度」は,まず弟子が師匠の背中から学びます。何を学ぶのか? 私は思います。それは「これから学ぼうとしている知識や技芸を〈まねぶ〉ための〈気〉を学ぶ(〈感じ取る〉)」のだと。非常に抽象的で曖昧な言い方で恐縮です。分かり難い説明ですが,学問や技芸を身に付ける〈場〉には,それなりの〈場性〉があります。簡単に言えば,その〈道〉が宿す伝統的なエネルギーとも言うべき雰囲気のようなものでしょうか。それは決して口(音声言語)で伝えられるような代物ではありません。〈道〉を極めた師匠は,既にその〈気〉を感じ取っており(だから,師匠なのですが),弟子がそれを〈感じ取る〉まで凝(じっ)とその時を待つのです。そして,師匠と弟子との間でその〈気〉が一となるとき,師匠の教えと弟子の〈学び(まねぶ)〉が始まります。つまり,知識・技芸の〈伝授(教え授けること)/伝受(教えを受けること)〉のスタートです。ですから,その始まりまで,弟子は師匠の背中を拝し続けるというわけです。背中は〈気〉を語るのです。




住本副塾長は,毎日,几帳面に手際よく,かつ,丁寧に掃除を行います。ですから,住本家はいつも奇麗ですし,掃除の〈気〉が宿っていると言って過言ではありません。そうした環境の中で,お母さんが掃除する姿をしっかりと見(真似)て,息子さん(7才)や娘さんは育っているのです。息子さんもお母さんからの教えを受けることなく,自ら自分の履くシューズ洗いを積極的に行っています。左手をシューズの中に入れて,ブラシで擦るお母さんの姿を真似て(上掲の動画を参照)。そして,娘さんは冒頭の動画のとおりです。時折,兄妹はお母さんを其方退(そっちの)けにして,二人だけの話し合いを持ち,掃除の役割分担を決めて,それぞれの役割を遂行しているそうです。掃除の〈場性〉,〈気〉を感じ取り,お母さんの姿を〈まねぶ(真似る)〉兄妹の姿がそこにはあります。




ですから,執拗ですが,どのように考えても,掃除にかかわる兄妹の行為は,お母さんのそれを「パクった」わけではないのです。〈真似た(学んだ)〉のです。そうすると,上述した「徒弟制度」においても,〈気〉を感じ取った弟子が師匠から「まねぶ(学ぶ)」ことは「パクり」ではない可能性を多分に持つことになります。〔(真似る≒学ぶ)≠パクる〕




(b) 「まねぶ(学ぶ)」の前段階-〈気〉と〈場性〉とを〈感じ取る〉-



〈場性〉とか〈気〉とか,何やら神秘的で,非現実的なお話をしているとお嘲笑(わら)いになっておられる読者がおいでかもしれません。しかし,決して御笑い種ではありません。〈気〉は宿るのです。それが〈場性〉を構築します。皆様も日常生活の様々な場面で,ご経験のことではないでしょうか?




それは教育の世界でも同様です。例えば,先生方の異動がそうです。私も何度か体験しました。広島県下の同じ校種である高等学校間を異動になる度に感じ取っていたことです。同じ後期中等教育を行う学校と言っても,公教育の世界でありながら,それまでにお世話になったA高等学校にはA高等学校の,異動先のB高等学校にはB高等学校の〈気〉(〈場性〉)があるものです。ですから,異動直後は,懸命に新しい〈気〉(〈場性〉)を感じ取ろうとしたものです。換言すれば,例えば,B高等学校が伝統的に育んできた世界観を,自らの感性のアンテナを精一杯広げて〈感じ取る〉ことから始め,それでもって,自らの教育に関する感性に揺さぶりを掛ける。その上で,新たな教育の技を身に付けようとしたのです。特に,高等学校から県教育委員会に異動になったときには大変に驚きました。全く異なる〈気〉(〈場性〉)を感じ取ったからです。しかし,感じ取らなければ,そこでの仕事はできなかったと思います。




住本副塾長も同様の事を述べていました。彼女はその職歴において「訪問介護員2級養成研修課程修了」の資格を持ち,複数の介護福祉施設で勤務してきました。その勤務先が変わる度に,同じ介護福祉の世界であっても,異なる〈気〉(〈場性〉)を感じ取ったと言います。勤務先が変われば,体得していた同じ介護技術が通用しない。したがって,異動後はまず自ら〈気〉(〈場性〉)が一になるように努力したと。




付言します。「生徒指導の三機能」※2の一つに「共感的人間関係を育成する」があります。例えば,ある担任教師がクラスの目標(「明るく元気に挨拶をする」でも「時間を守る」でも良いのです)を一生懸命に守ろうと努力している。その姿を見た児童生徒たちが,担任の先生の姿に学び,クラス目標の大切さを感じ取った上で,「先生が頑張っておられるのだから,僕も/私も頑張って,クラス目標を達成するぞ!!」と思うようになった。そして,それを行動に移したとします。こうした態様を元来の「共感的人間関係」と言います。元々,「共感的人間関係」は「教師-児童生徒」間で成り立つ関係性を言うのです(現在,「児童生徒-児童生徒」間の関係性で使用することが多いようですが)。こうした態様は正に「師の背中を見て育つ」状況と言えます。さらに,特筆すべきことがあります。それは,こうした「共感的人間関係」が育成されたクラスには,往々にして清々しく,それでいて程よい緊張感のあるエネルギーが漲る〈場性〉があるということです。経験則ではありますが,間違いありません。児童生徒と担任の教師等で作り上げた〈場性〉です。その〈場性〉を〈感じ取り〉ながら,「共感的人間関係」は構築されていきます。




〈気〉は二重構造です。(全くの造語ですが,)「教育道」「介護道」などが宿す〈気〉と,「教育道」「介護道」をそれぞれ体現しようとする,ここでは学校や施設が宿す〈気〉。後者の〈気〉は前者を母体として成立するものですから,多くの場合,私たちは後者の〈気〉を感じ取ろうとします。こうした体験は,読者の皆様方にもおありだと思います。だからこそ,お分かりいただけると考えるのですが,〈気〉を感じ取るためには,ある程度の時間が必要となります。これを「師匠-弟子」関係に置き換えてみると,「師匠」は「弟子」が〈気〉を〈感じ取る〉まで〈待つ〉ことを求められます。つまり,「弟子」が本格的に「師匠」から〈まねぶ(学ぶ)〉ためには,前段階として,(「師匠」の立場で述べるところの)〈待ち時間〉が必要となるということです。換言すれば,高度な知識や技芸を身に付けるためには,「〈気〉を〈感じ取る〉→〈まねぶ(学ぶ)〉」過程が,まずはセットとなって立ち現われる段階が存在するということなのです。考えてみれば,住本副塾長のところの兄妹にしても,「徒弟制度」の「弟子」にしても,例え話のクラス目標達成に努力する児童生徒たちにしても,ある程度の時間を掛けて「〈気〉を〈感じ取る〉」段階があったはずです。そして,それらの人々は「住本副塾長」「師匠」「担任の先生」の背中をそれぞれが見つめていたはずなのです。




高度な知識・技術を体得するには,「師匠」から「まねぶ(学ぶ)」前段階として,「〈気〉を〈感じ取る〉」段階があり,その達成後,本格的な〈まねぶ(学ぶ)〉段階が始まるのです。




【※2関連】




「生徒指導の三機能とメンタリングとの関係について」(住本小夜子,当塾公式ホームページ,2018.6.7)




「鍛地頭-tanjito-」のロゴやピグをあしらった包装紙に包まれたバレンタインデーのチロルチョコ群
住本副塾長から頂いたバレンタインデーのチロルチョコ
「鍛地頭-tanjito-」のロゴやピグをあしらった包み紙!!
これもオリジナリティー!?



(c) 守破離



現代のビジネス業界の一端から,罵声にも似た嘲笑が聞こえるようです。
「〈気〉を感じる段階!?」「ある程度の時間が必要!?」
「スピードが命の時代に待ってなんぞいられるものか!」「待つ時間があるくらいならば,とっとと師匠に訊いて来い!」「師匠は弟子に客を盗られたくないから,わざと待っている(弟子に教えない)んだ!」など。




そうなんですかね? … スピードが必要であることは分かりますけどね … ビジネスの世界ではありませんが,私も,長い間,教育行政の世界に居ましたからね … ここもスピードが命の世界です … 「A4 1枚の文章を誰が読んでもパッと分かるようにすぐ作れ! 10分以内だ!」なんて鍛えられてきましたから … こんなブログのように,まどろっこく長々と綴っていたら,そりゃ,大変なことになりますわ … 




ところで,いきなりですが,「守破離」はビジネス界に無縁の概念なのでしょうか? そんなことはありませんよね。ちゃんと採り入れておられるところもある。業種に依るのですかね? 高等な知識や技芸を身に付けるときだけに必要な概念ですか?





  • 守…師匠の教えをまもる段階

  • 破…師匠の教えの枠組みを超え,他の(師匠等)の教えも研究し学ぶ段階

  • 離…師匠や他の(師匠等)の教えの枠組みを超え,新たな教えを創り出す段階




少し私なりの解釈を加えて,「守破離」を説明してみました。私はこれらの3段階の前に「〈気〉を〈感じ取る〉」段階を想定していますし,この段階は「段階」ではなく,それぞれの3つの段階に通底しているとも考えています。ですが,ここでは説明がややこしくなるので,「守破離」の3段階で考えることにします。「何を考えるのか?」って?




この「守破離」なる概念を目にしたとき,私の脳裡にオーバーラップした概念がありました。それは「ヘーゲルの弁証法」でした。





  • 正(テーゼ)…ある命題(主張)

  • 反(アンチテーゼ)…「正」を否定する命題(主張)

  • 合(ジンテーゼ)…「正」と「反」とを止揚(アウフヘーベン)する命題(主張)




少し難しいので,卑近な例を挙げます。





  • 正(テーゼ)…Aさん:「俺はカレーをつくりたい。」

  • 反(アンチテーゼ)…Bさん:「私はパスタをつくりたい。」

  • 合(ジンテーゼ)…AさんとBさん:「では,カレーパスタをつくろう。」




ああ,なんて卑近すぎる例を挙げてしまったのでしょうか? ヘーゲルさん,ごめんなさい。
「合」の段階に至るには,通常,〈対話〉を必要とします。この例話の場合には,AさんとBさんとの〈対話〉があったことになります。また,「合」に至るには「止揚(アウフヘーベン)」という作用が必要です。これは単に「正」と「反」とを足し算すると考えてはいけません。所謂「統合」なのでしょうが,「正」と「反」との矛盾を否定し,両者の共通点を探る作業を行うのではなく,矛盾を〈矛盾〉と丸ごと認め,それを抱えたまま,〈対話〉により一層高次な命題を紡ぎ出すことを言います。したがって,私はこの弁証法の考え方を援用し,近現代を次のように捉えています。





  • 正(テーゼ)…近代(モダン):絶対的な大きな価値観の時代

  • 反(アンチテーゼ)…現代(ポストモダン):絶対的な価値観を否定し,小さな価値観が鬩ぎ合う時代

  • 合(ジンテーゼ)…近未来(一元論的トランスモダン):「大きな価値観/小さな価値観」「小さな価値観/小さな価値観」がそれぞれ連関を持ちながら止揚(アウフヘーベン)され,新たな価値観が創出される時代




時代状況を鑑(かんが)みるとき,現在はポストモダンが終焉を迎え,ポストモダンを超越(トランス)する時期にあるのではないかと考えるのです。ただ,それは希望的な観測であるのかもしれません。このポストモダンの終焉期に当たり,数多くの小さな価値観は鬩(せめ)ぎ合い,空洞化・形骸化しました。終焉期は人的な新たな価値観の創出のために必要なエネルギーを喪失した頽廃期とも言えます。結局,近未来は新たな価値観を創出するフィールドと凋落(ちょうらく)するフィールドとに二極分解するのではないのかというのが,私の見方です。そこにAIがどのように関与してくるのか。




仮にビジネス界全体が新たな価値観を創出するフィールドであったならば,ビジネス界は「守破離」の「離」を迎える時代となるはずです。ビジネス界を席巻した小さな価値観は〈対話〉によって止揚されていきます。そのような時代に,自らの利益だけを最優先するビジネスマンたちにジンテーゼが出現するのでしょうか? 「待つ時間があるくらいならば,とっとと師匠に訊いて来い!」「師匠は弟子に客を盗られたくないから,わざと待っている(弟子に教えない)んだ!」の言葉の裏に明確に読み取れる自己利益のみを追求する在り方には,「師匠」を初めとする他者を見下す「仮想的有能感」※3がはっきりと表れているのです。




こうした人たちが多いところには,〈個の尊厳〉は存在しません。みんなこうした人たちに見下されていくのですから。そして,見下された人たちが,腹いせとばかりに,「仮想的有能感」によって苛まれた自己利益だけを求めて,さらに周囲の他者を見下していく。〈見下しの連鎖〉が構築されていくのです。そして,個のアイデンティティは共同体のアイデンティティと共に喪失する。また,それは個の,共同体のオリジナリティーの喪失でもあるわけです。無論,「仮想的有能感」の虜となった人々はさらに実力をも喪失していくのです。




こうした事態が地球規模で生起したら…。





右肩上がりの棒グラフの向こうで自信に満ちた握り拳を胸元で固めるビジネスマン




「現代のブログ言説」には,そうした兆候が伺えると思うのです。








※3 「他者軽視をする行動や認知に伴って,瞬時に本人が感じる「 自分 は他人に比べてエライ,有能だ」という習慣的な感覚」(『他人を見下す若者たち』(速水敏彦,講談社現代新書 Kindle 版,2016.10,http://a.co/3X1YX0Z




【※3関連】




「「現代ブログ言説」を〈相対化〉する―前夜祭(Eve)―」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.2.10)




【関連】




「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第1回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2018.12.29)
「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第2回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.1)
「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第3回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.2.6)
「育児言説を〈相対化〉するーポストモダンの時代から一元論的トランスモダンの時代へー〔第1回〕」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.21)




→第6回につづく







© 2019 「鍛地頭-tanjito-」



posted by tanjito at 20:01| 広島 ☔| Comment(0) | 塾長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月14日

「現代ブログ言説」を〈相対化〉する―前夜祭(Eve)―

焼き肉 七輪(提供 photoAC).jpg


d 〈相対化〉の前夜祭



呑兵衛の悪友の中でも最高の悪友Mr.Xと差しで呑むことにした。
ここは,行きつけのお好み焼屋※1ではない。いつもの焼き肉屋※2である。
かなり杯を重ねた。
店の大将は気さくな「変わり者」だ。それを上回る「変わり者」がMr.Xだ。
わしは自分のことを差し置いておく。




大将:先生,野菜の盛り合わせじゃ,ほら。
わし:頼んじょらんよ。
大将:わしが喰えよ~るんよ。さっきから肉ばっかり食びょうる。野菜も食べんにゃあ。店の奢りじゃ。それにナムル。二人とも好きじゃろうが。
わし:ありがとう。
X :生ビールも奢りか? グヒ。
大将:それは驕りか?




わし:なあ,「驕り」で思い出したわい。
X :なんな~?
わし:お前,「仮想的有能感」※3という言葉を知っちょるか?
X :名大の速水敏彦か?
わし:そう。
X :お前は,県教委の時,生徒指導が専門の一つじゃったけん,よ~(よく)「自己有用感」が大切じゃゆ~てよ~たのう。今度は「仮想的有能感」か。ハハハ…グヒ…
わし:おい,ここで吐くなよ!
X :吐くか!! もったいない!!
X :じゃけんのう,「仮想的有能感」ちゅうんはの,人っちゅうもんは,他人のホンモノの実力,グヒ,要は実績とか経験とか,それらを確と見極めることをせず,確証のないまま,勝手に想像の域で,自分より能力が低い,つまり,自分の方が能力が高いと思~て,ええきになるということじゃろうが。別に,若者世代の問題だけじゃあないのう。人間全てに普遍化できる話じゃのう。
わし:そうじゃ。じゃけん「仮想的」なんよのう。ホンモノの「有能感」じゃない。で,なんで,そうなると思う?
X :一般的には,「自分に自信がないけん」と考えるんじゃろうが,そが~に浅いもんじゃないと思うのう。抑々(そもそも),人には自分の方が他人より能力が上じゃ~という思いがあるゆ~て,速水はよ~る。
わし:「自分はそんなに生意気じゃ~ない,人より上じゃゆ~て思わん。」と思~ちょる人間がいっぱおると思う。
X :そういう人間に限って,自分が上じゃと思ーちょるんよ。気づいてないだけよ。いや,気づこうとしちょらんもん(者)もおるで。お前も用心せい。
わし:お前もな。
わし:現代の人間の多くは不安なんかのう? わしはよ~(よく)「システム思考」※4っちゅうてゆ~んじゃけど,現代は社会システムが複雑すぎて,システム自体が見えにくくなっちょる。その分,そのシステムの中で自己の位置を見失って,人は不安になっちょるんかのう? それと,元来の人間の特性,う~ん,ここまでゆ~てええんかどうか,人より上じゃと思いたい衝動とが相俟って,「仮想的有能感」が生まれるということかのう? わし自身を省察(Reflection)しても回答が見つからんけん,わしもそうなんかのう?
X :お前,だんだんよ~る(言っている)ことが難しゅうなりょうる。酔うたか? グヒ…
わし:お前にゆわれとうない。
X :お前,それ「衝動」っちゅってゆ~てええんか?…どうかわからんが,…「心性」か?…ただ,自分より低い位置にある人を見て,自己高揚感ゆ~んかのう,それが生じるのは社会的比較理論が立証しちょるらしい。
わし:速水氏の本にはそうあるのう。
X :グヒ。
わし:しゃっくりで返事すなや!
X :で,どしたんな~それが?
わし:怖いじゃろうが。それは人が人を差別化することにつながるんど。
わし:しかもよ,お前はわしらの塾のブログをよ~読んでくれちょるよのう。
X :ゲップ…
わし:きちゃない(汚い)のう!! ゲップで返事すなや!!
わし:わしは,最近,ぶち(非常に)気になることがあるんじゃ。
X :なんな~?
わし:「現代のブログ言説」よ。
X :お前の頭はどうなっちょるんな? そんなことばっかり考えよ~るんか~?
わし:いや。怖いと思わんか? もしのう,日本中,いや,世界中の人がのう,強度の「仮想的有能感」を持ってみい~。あののう,身の回りの他者ゆ~のは,見たり聞いたり,聞くだけは怖いがのう,ある程度,実績や経験を目の当たりにしちょったり,知っちょったりする。じゃけどのう,一般の「大衆」となれば,それは全くわからん。速水氏の理論は,人はその実績や経験を知らない他者としての「大衆」に対しては,余計に「仮想的有能感」を持つということになるじゃろうが。この関係をブログの「書き手―読み手」関係に置き換えてみい~。「読み手」の殆どは「大衆」ど~。まあ,逆の関係も考えられるけど,そうなると,余計に怖い。
X :わしとお前らの塾との関係は違うけどのう。しかも,わしは時々お前らのブログにアドバイスをしちゃる。わしも編集者の一人じゃ。ははは。
わし:口だけで,何もせんくせに! でな,もし,世界中の「書き手」であるブロガーたちの多くが「読み手」である「大衆」に対して強度の「仮想的有能感」を持ったとしたら…。
X :おおうぅっ,ゲップ,お前,おもろいことを考えるのう。
わし:おもろうないわい!! 怖いわい!!
X :冗談よ。可能性が全くゼロとも言い切れんかもなあ…
わし:もし,そうなら,どうなる?
X :理論からすればで,現実はどうかわからん,「仮想的有能感」が高いからと言って,実際,高い実力を持っちょるわけじゃあないという理屈もあるけんのう。逆に,自分自身に実力がないことがわかっとるけん,余計にも「仮想的有能感」は高まるんじゃろうのう。
わし:そうしたら?
X :「仮想的有能感」が強くて,ホントに実力もある人はいるんだろうけど,大局的に見て,ブログの未来はない。ブログ文化は発展せんよのう。もしも,そうならばっちゅう限定付きじゃけどの。 ほんじゃが,「仮想的有能感」を強く持ちすぎて,そのことが却って内的動機付けにつながり,実力以上の力を出すなんてことはないんかいのう。それにしても…どうあれ,そこに「個の尊厳」はないのう…「個の尊厳」を全くもって喪失してしまう…ヒク…
わし:そうなんよ。わしはそこに危機感を感じる。〈個の尊厳〉の喪失は〈他者とのつながり〉の破棄・破綻を意味しちょる。しかものう,わしはのう,そうなってしまうのではないかと思われる兆候と思しきものを,現代のブログに見るんよ。勿論のう,この話はブログの世界だけに起きることじゃあない。人間がいるところには,どこにでも起こりうることじゃろうと思う。じゃがのう,ブログっちゅうもんは実に多くの人が利用して,非常に簡便で,瞬時に,しかものう,広範囲にメッセージを届けることができる,強烈な発信力を兼ね備えたコミュニケーションツールじゃないか。わしは,今後,ブログっちゅうもんは高次に自由度を持つ〈ブログ〉として,さらなる発展を遂げる可能性があるんじゃないかと考えちょる。じゃが,もし,仮に,意図し,企図した言説を操作する人間がブログという媒体を悪用したらどうなる? ひょっとしたら,今も…
X :出~た~,お前の大好きな「言説(discours)」!! グヒ,ヒク…ヒャックリ…ウ~





焼き肉屋の七輪の前に置かれた満タンの生ビール




わし:わしはのう,この前も「塾長の修士論文の内容が新学習指導要領及び解説の国語編に!!」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.28)を投稿したが,あの研究の動機の一つにのう,わしを含めて,「大衆」,言い換えりゃあ,「人」はのう,〈言説の権威性〉に巻き込まれやすい,言表を媒介に言説の〈相対化〉をよ~せん(うまくできない),じゃから,他人を誤解して理解したり,教員が所謂「児童生徒理解」を間違えて,児童生徒をどん底に突き落としたり,多くの人が一部悪質な社会システムに絡め捕られたりなどしちょるからのう,危機感を覚えたっちゅう~ことがあったんよ。ほんでのう,その根底には〈他者とのつながり〉の意識的・無意識的破棄があっての,それがまた〈他者とのつながり〉の破棄・放棄・破綻を引き起こすっちゅう,負のスパイラルを描いちょるんよ。
X :お前,やっぱり,酔うちょる。酔うと余計に何をよ~るんかわからんようになる…グヒ~
わし:わしはのう,テレビやラジオ,新聞,ネットなんかののう,ニュースや報道番組なんかを用心して見聴きするようにしちょるんよ。例の,最近報道されたA市の市長の暴言よ。あの一件。確かに,あの言表は,どのコンテクストで使おうが,それをテクストとして使おうが,いけんわい。じゃがのう,あの報道の仕方よ。あれって,最初の報道後に,実はこんなこともありましたゆ~て,付け足しを報道した。それに意図があったのかどうか,〈事実・真実〉はわしには分からん。でも,そうしたらどうだ。それまで,その市長のことをぼろかす抜かしとったコメンテーターや司会者らの中には,「(この案件に対して,)少しニュアンスが違ってきましたね。」ってなことをゆ~たもん(者)がおった。ニュースや報道番組などは,その〈事実〉を〈事実〉として報道できない。〈制約〉がありすぎるんじゃ。報道機関も確かに大変じゃろう。ただのう,意図的に報道していない/しているのではないのかと,わしには思えることだってある。全てひっくるめた事の顛末の一部を一つのテクストとして,事の顛末というコンテクストの中から切り取って視聴者に見せ,コメンテーターだとか司会者だとかが,自分のフィルターだけで勝手に喋り捲る。テクストとして,どこをどのように切り取り見せるかというところに,その報道機関の思想性や恣意性が出るもんじゃ。同じ事件を取り扱っても,全く同じ記事にならない各報道機関の成果物をみればわかるじゃろう。例えば,同じ事件を扱う新聞記事でも,その理解や論調は各新聞社で微妙に,また歴然と異なっとる。じゃがのう,問題はそこだけじゃない。例えば,コメンテーターや司会者が,ある「被疑者」を恰も「犯人」のように捲し立て,コメントしたとき,それを見聞きした多くの視聴者がすんなりと「ああ,この人は犯人だ。悪い人間だ。」と思ってしまうことに大きな問題がある。そりゃあ,ほんまに「犯人」だってこともある。「悪い人間だ」ってこともある。じゃが,世の中には悪い奴に嵌められて「被疑者」や「犯人」になったもん(者)もおる。無論,それでもいけないことをしてはいけない。でも,中には,完全な「白」ということもあるで。「冤罪」という言葉が死語にならないのが最たる左證よ。でものう,多くの視聴者は,その事件の一部始終を臨場して見聞したわけではないのに,いや,仮に見聞したところで,その「被疑者」や「犯人」のありのままの《自分(自己)》まで絶対に見聞することはできんけどの,それなのに,どうして,いとも簡単に「犯人だ」「悪い人間だ」と思ってしまうんじゃ?




X :〈真理・真実〉を見ようとしない。また,見るべき〈多様な視点〉を持たない。見ようとしない方がおもしろい。人の不幸は蜜の味ってか。例えば,そんな思いが余計にも〈多様な視点〉の形成を妨げる。さらに,もっと大きな視点から俯瞰すれば,現代が複雑な社会システムの中で動いていることを認識していない。だから,システムを織り成す一本一本の絡んだシステムの繊維を解きほぐせない。解きほぐすには〈多様な視点〉などを用いながら,そのシステムが紡ぐ一つ一つの事象を〈相対化〉できる力が要る。でも,育っていない。だから,巧妙にそれらのシステムの繊維を絡ませられ,〈事実・真実〉の一部だけを切り取られ見せられたとしても気づかず,声高に物を言う人達の言葉だけを恰も「事実・真実」のように鵜呑みにしてしまう。声高に物を言う人たちの言葉を繰り返し繰り返し聞いていく,聞かされていくうちに,それは真実味を帯びてくるんじゃ。例えば,多くの人が「地球は平たい板のような形だ。」と大合唱を始め,長い年月が過ぎれば,さらに数多くの人達はそれを確かめることはなく,疑わず,まあ,この場合は確かめにくいが,「地球は平たい板のような形だ。」 と信じ込んでしまう。確かに,声高に物を言う人たちは「「地球は平たい板のような形だ。」 と信じなければ痛い目に合わすぞ。」と言ったわけじゃあない。つまり,地球の形状を「平たい板」だと信じるように〈強制〉したわけじゃない。なのに,いつの間にか信じているということは,その言葉を聞かされた側の人間は,自覚のないところで,そのように信じるように〈強制〉された形となっちょる。本当は「犯人」ではない「被疑者」が「あいつは「犯人」だ。」と直接言われなかったとしても,「犯人」のように多くの声高に物を言う人達に言われれば,それを聞かされる数多くの人達は「あいつは「犯人」だ。」という表象化されない〈言葉〉を聞き,その表象化されない〈言葉〉による気づかない権威性(〈強制〉)の虜となって,その「被疑者」のことを「犯人だ」と思うようになる。いじめに見られる構造でもあるよのう。その「表象化されない〈言葉〉」を「言説」と呼び,「表象化されない〈言葉〉による気づかない権威性」を「言説の権威性」と言う。ということは,この「言説の権威性」は人の手によって操作できるということじゃのう。「地球は平たい板のような形だ。」 と最初,声高に唱え始めた多くの人間の中には,全く意図せず,それを口にした人間がいたかもしれないが,一方,中には「地球は平たい板のような形だ。」 という考えをどうしても「大衆」に広めたくて意図的に声を大にして唱えた人間もいたということじゃ。「あいつをどうしても貶めてやりたい。」と執念(しゅうね)く思って,ありもしないことを声高に,しかも,意図的に吹聴し,周囲を巻き込み信じ込ませるパターンの「いじめ」も同じ構造じゃ。じゃけん,教職に身を置く人間は,特に「システム思考」でものを見,考え,〈多様な視点〉で乳幼児・児童・生徒を理解し,さらに,乳幼児・児童・生徒や保護者,地域社会の人々と営む教育事象を〈相対化〉して,課題を解決し改善する教育活動を行わなければならんということよのう。ほんで,そのためには,まず教職に身を置く者自身が身の周りの事象を〈多様な視点〉でもって〈相対化〉できる能力を身に付けておかなければならないし,だからこそ,少なし児童・生徒にはそうした力を学校教育の中で付けておかんにゃあいけんっちゅうことよのう~。さらに,そのためには,他者との〈対話〉が大切になるよのう。自己とは違~とる数多くの他者と〈対話〉することで,それらの他者が持つ「視点」を〈相対化〉し,自己内に取り入れるものは採り入れ,要らんものは捨て,自己の〈多様な視点〉をつくらんといけんけんのう。そうすることで,結果的には,自己は〈他者とのつながり〉の中で生きちょるということを認識するようになる。これが大切なんよ。それを具現化できる可能性を秘めるものが「「語りの構造読み」を採り入れた国語の授業」ってか。これができて来れば,〈個の尊厳〉は守られるっちゅうわけじゃけんの。〈真理・真実〉に近づこうとする態度は〈個の尊厳〉を守る態度に通ずるわけじゃあ。また,逆も真なりじゃ。のう,そうじゃろう? お前,そう言いたいんじゃろう?




わし:長いわい!!!! ほんで,お前はわしか!!!! ほんで,酔うとったんじゃあないんか!?




X :う~ん? ヒック… 真面目に聴ーちょったんか?…

X :因みに,お前も長い…ヒク…

X :ああ,序(ついで)に,さらに因みに,敢えて,「敢えて」ゆ~ぞ…

X :(読者の)スマホの画面,スクロールしても,当分,全部,文字だらけ…ヒク





居酒屋で一杯目に呑む満タンに満たされたハイボール




わし:お前,ホンマに変わっちょるよのう。
X :うるさいわい。お前の方がもっと変わっちょる。ここのおっさん(大将)も変わっちょるがのう。
大将:聞こえたどう。お~い,母ちゃん,Xの伝票をこさえて(つくって),焼き野菜盛,ナムル,メガビール3ゆ~て書いちょいてくれ~!!
女将:あいよ!!
X :ちっ,ケチ臭い…うっぷ…
わし:「変わり者」と言えば,エミリ・ディキンスンを知っているか?
X :知らん。お前,発音できてないで。噛んじょる。
わし:うちの塾の「塾長のカナダ武勇伝(?)」を読んじょるじゃろうが。
わし:ああ,ははは,お前,カナダに行って,語学研修を受けたにも拘らず,英語ができんで,かなり向こうで苦しんじょったのう…ははは…ヒク…
わし:そこまでまだ回は進んじょらん。投稿する前に先を言うな! 清少納言に怒られるで~
X :???
X :エミリ・ディキンスンとやらがどしたんな~? わしゃ~発音が良(え)かろうが。
わし:『エミリ・ディキンスン家のネズミ』※5というの,本の中に彼女が書いた詩がある。ああ,彼女は19世紀のアメリカの有名な詩人の一人なんよ。亡くなるまでは,彼女のことを詩人と知る人はいないくらいだった。何せ殆ど人との付き合いはなかったようじゃのう。「変わり者」のグループの人じゃったらしい。亡くなった後に,彼女の詩が有名になるんよのう。現代じゃあ,「変わり者」には,その人を排他的に見る負のイメージがあるが,本来はそういう意味じゃなかった。





一つの心が壊れるのをとめられるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう
一つのいのちの痛みを癒せるなら
一つの苦しみを静められるなら


一羽の弱ったコマツグミを
もう一度,巣に戻してやれるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう





X :まるでお前みたいじゃのう。そして,今のお前がここに在る。
わし:そう真剣になるな。
X :まあ,エミリ・ディキンスンみたいに立派じゃないがのう。
わし:この詩のう,『なつかしい時間』(長田弘,岩波書店(新書),2013.2.21)の中で見つけたんよ。この本にもあるんじゃがのう,これって,読んだ瞬間に思ったんよ,「ディグニティ(dignity)」じゃのうって。〈個の尊厳〉。
X :お前,また噛んだ。
わし:いちいち煩いわい。
わし:わしは最近よく思う。さっきの本にも同じ思いが書いてあったんじゃが,現代はあまりにも〈平均化〉してないか? ここからはわしの思いじゃが,みんな同じような服を着て歩いているとよく表現されとるじゃろう。比喩の意味での「服」でもあるし,本物の「服」をも差しちょると思うけどのう。しかも,時代が「モダン→(ポストモダン→)トランスモダン(≒ポスト・ポストモダン)」と移行(シフト)する中で,わしは,現代がポストモダンの終焉期で,かつ,多様な価値観が形骸化・空洞化し,ある種,人間的なエネルギーを喪失したデカダンス,う~ん,頽廃期にあるような気がしてならんのんよ。それが〈平均化〉に見えることもあるんじゃないかのう。「ポストモダン」を認めない人達もいるけれど,トランス(超越)せず,またモダンに戻るんじゃないのかとゆ~人もおるくらいよ。ただ,昔から平均化した価値観を打ち破ってきたのは所謂「変わり者」じゃった。そんなことがさっきの本に書いてある。これってよくわかるんよのう。じゃけん,「変わり者」は肯定的な正のニュアンスを含有している言葉じゃったんよのう。平均化していない価値観,それは,すなわち,わしが思うに〈オリジナリティーを持つ価値観〉のことであって,それを「大衆」に伝えた(伝えることになった)人,それが「変わり者」っちゅうわけよ。
X :ああ,それはわかる気がするのう…ほんで,〈個の尊厳〉,「システム思考」,〈多様な視点〉の形成,〈相対化〉,「語りの構造読み」,ほんでほんで,ブログ言説,一体,どうつながるんなあ?? 抑々,「ブログ言説」って,何なあ??





鉄板で焼かれる切れ目の入った高級ステーキ




次回以降,「難解言説」,「毎日言説」及び「一回性言説」の〈相対化〉に挑む予定です。今しばらくお待ちください。
また,お付き合いいただけましたならば幸甚です。




→第5回につづく




註1:本話は事実に虚構を織り交ぜて作成してあります。また,本話は「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-」の第4回に相当するものです。
註2:本話はアルコールを入れた塾長とMr.Xの親友同士等による〈対話〉を中心とした構成を採用しております。そのため,乱れた広島弁で表現してあります。広島県民が全てこのような話し方をしているわけではございませんので,予めお断り申し上げます。気を悪くされた広島県民の皆様には深くお詫び申し上げます。








※1 「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第2回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.1)を参照のこと。この回の呑兵衛悪友との悪業は,行きつけのお好み焼屋が舞台だった。
※2 呑兵衛の悪友たちにとって,この焼き肉屋も悪業を繰り返す隠れ家である。
※3 『他人を見下す若者たち』(速水敏彦,講談社現代新書 Kindle 版,2016.10)
※4 「「システム思考」と「主体性」ーいじめ問題と教師教育の視点に新学習指導要領を絡めてー」(小桝雅典,当塾公式ホームページ,2018.7.6)を参照このこと。
※5 『エミリ・ディキンスン家のネズミ』(エリザベス・スパイアーズ (著), クレア・A・ニヴォラ (イラスト), 長田 弘 (翻訳),みすず書房,新装版,2017.7.27)




© 2019 「鍛地頭-tanjito-」



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2019年02月07日

「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第3回)

ありがとう 手書き(提供 photoAC).jpg


ウ 起業とオリジナリティー




(ア) 「鍛地頭-tanjito-」の起業



「理念は素晴らしいですね!! NPO法人にされたらどうですか?」
「それにしても,あなた,全く儲ける気がありませんね。すぐに潰れますよ。」




当塾,「鍛地頭-tanjito-」は貧乏である。運転資金なるものはない。事務所もない。だから,専属のコンサルなどいるわけがない。片っ端から無料相談を漁るばかりである。何人の無料コンサルに出会っただろうか? 十数人? いや,二十数人? それらのコンサルに決まって言われたことがある。みんな相談したように口を揃えて言う。起業趣意書と計画書を覗いて。




「理念は素晴らしいですね!!」
「それにしても,あなた,全く儲ける気がありませんね。すぐに潰れますよ。」 




[そうです。儲ける気はないのです。儲け方もさっぱり分からない。]




そう心の中で毎回呟く。毎回。




[抑々,悩んでいる人からお金を頂いて相談に乗ること自体,アクドイことのように思えてならない。何せ元々学校の先生だったのだから。]
[でも,ちょっと待てよ。学校の先生も悩みを抱えた児童生徒や保護者等の相談に乗っている。それも給料の一部だ。な~んだ。儲けてきた。29年間。飯は食わなきゃ。これからこどもの学費が掛かるしなあ…]




そう自分に言い聞かせる。




[あれっ,もうコンサルは終わりか!?]
[肝心の儲け方を伝授してもらっていないぞ!! そうか!! 何たって無料だからなあ。しかも,儲け方など自分で見出すものだ。多分…。]
[しかし,いろんなコンサルがいろんなことを言っているけど,共通していることは『起業理念は素晴らしい』と『儲ける気がありませんね』だけだ。例えば,SNS集客でも「役に立つ」か「立たない」かについて持論としての結論だけを教えてくれて,しかもいろんなコンサルが口々にどちらかの立場を捲し立てただけだ。]
[(私も)学校で言っていたよな~。自分の頭で考えなさい。自分で考えることをせず,すぐに人を頼るんじゃない。自分で情報を集めて分析し,他者と〈対話〉をしながら,思考・判断・表現(実践)する。実際に(物事を)やってから文句を言え。やらずに文句を言うな。]
[抑々,当塾の名前は「鍛地頭」だ。自らの「地頭(=総合的な人間力)」を「鍛」えないといけない。]
[しかも,起業を支援するブログや無料メルマガを読むと,「起業成功の早道は専門家(コンサル等)に指導を仰ぐこと」とよく書いてある。しかし,お金がないのだから指導の仰ぎ様がない。お金がなくても起業しなければならない事情ってもんもある。]
[他者との〈対話〉は必要だ。だが,何も「他者」はコンサルだけではない。「近道」でなくても良い。]
[そうだ!! コンサルにはもう頼らない!!]
[やっぱり,副塾長と二人で試行錯誤,何年掛かってもええわい,自分たちでやるしかない!! 日々,勉強じゃ~!!]




「ありがとうございました。これで失礼します。」




コンサル後に訪れる,毎度,お決まりの結末である。





コルク版の上に置かれた和紙に手書きの文字「ありがとう。」




[元教員に起業は難しいのかなあ…教員が中途で職を退くと再就職が難しいとよく言うよなあ…でも,うまくやっている人もいる…やはり,自分が悪いんだ…商売をする能力がないんだろうなあ…]




[こうなりゃあ~自分の好きなこと,やりたいこと,それらって自分の能力を生かせることだから,それをやるっきゃない!! あの世で後悔したくないからなあ…このままだと化けて出てしまうわい…それじゃあ,人様にご迷惑をお掛けすることになる。]




こうした開き直りに副塾長の住本小夜子はすんなりと賛同してくれた。




「それで良いんです。自己の能力を生かした好きなこと,やりたいことをやったら良いんです。育児・療育・学校教育に関する悩み事を抱えた(乳幼児・)児童生徒,保護者及び先生方等のお力になる,〈ホンモノの教員〉を育成する,(「語りの構造読み」の時代が到来しそうだから,それを用いて,)こどもたちの思考を鍛錬する,これらをやっていけば良いんです。そのために,専門性をさらに磨き,経営の勉強もしましょう。失敗を恐れてはいけません。失敗しても良いんです。残りの人生の全てを賭ければ良いんです。とにかく,日々,出現する未来を信じて,少しでも良いから前に進みましょう。」




「よっしゃあー!!」




何が「よっしゃあー!!」なのか,自分でもよく分からないが,とにかく「よっしゃあー!!」なのである。




【関連】




「語りの構造読み」について:
「塾長の修士論文の内容が新学習指導要領及び解説の国語編に!!」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.28)




〈ホンモノの教員〉について:
「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第2回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.1)
「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第1回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2018.12.29)
「教師視点から考える「保護者等―教師(学校)」間の関係性について〔第2回〕」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.5)
「教師視点から考える「保護者等―教師(学校)」間の関係性について〔第1回〕」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2018.12.21)
「第1章 【「地頭(総合的な人間力)」を鍛える教員養成】」(教員採用試験合格道場―オンライン教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」)







2018年日本シリーズ第1戦でカープを応援する前,ヒーローインタビューの水掛けを模したボードの前で万歳をする塾長
55歳を迎え,起業に挑むって年寄りの冷や水?
(塾長 小桝雅典,於 マツダスタジアム,
2018年プロ野球日本シリーズ 広島vsソフトバンク 
第1戦 試合開始2時間半前)




(イ) 現代ブログ言説を〈相対化〉する



a 謎のデータ



19976,12944,12855,11599,10464,10255,8442,8361,8030,7928,7191,6933,5818,5074,4972,4780,4653,4344,4002,3255,2977,2735,2582,2524,2521,2483,2480,2432,2194,2194,2068,1855,1808,1763,1739,1699,1627,1571,1545,1513,1425,1411,1355,1322,1235,1224,1200,1195,1188,1146,1095,1088,1083,1079,1041,973,921,920,896,821,806,802,774,766,742,644,641,636,623,622,543,487,471,433,384,283




これは何の数字かお分かりになるでしょうか?




当塾の3大業務の一つに,「AmebloTwitterFacebookホームページ及びBLOG「鍛地頭-tanjito-」などによる教育論の発信」があります。最初のブログをアメブロに投稿したのは,1年前の2月2日のことでした。中途,投稿をお休みさせていただいていた期間がありますが,正式に投稿したブログの本数は76本になります。現代のブロガーならば,「76本!? 1年で? 少ね~!!」ということになるのではないでしょうか? そうです。「現代のブログ言説」からすれば,「少ね~」でしょうね。しかし,少ないのには訳があります。そのことについては,後程お話をいたします。




実は,上記の数字の羅列,これは当塾の76本のブログそれぞれを構成する文字数を示しているのです。多い順に列記してみました。最大値で「19976」,最小値で「283」です。かなりの開きがあります。因みに,前者は,つい最近投稿した「塾長の修士論文の内容が新学習指導要領及び解説の国語編に!!」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.28)で,後者は当塾が1回目の立て直しを図り,出直して9日目に投稿した「【急募】こどもも保護者も笑顔になれる「まほうの声掛け術」セミナー」(当塾公式ホームページ,2018.5.20)です。ジャンルから述べると,前者は「「鍛地頭-tanjito-」の国語教育論」,後者は「営業活動」となります。また,発信媒体は,前者が「BLOG「鍛地頭-tanjito-」」(ワードプレス)とアメーバブログ,後者が当塾公式ホームページ(SIRIUS)とアメーバブログです。(ミラーサイトではありません。)文字数の多寡だけではなく,ジャンルや発信媒体にも相違があるのです。それはなぜでしょうか? このことについても,後程お話いたします。




さて,次の折れ線グラフ(図 時系列に見る文字数の変化―「鍛地頭-tanjito-」のブログの場合―)をご覧ください。このグラフは,昨年の2月2日に当塾の初となるブログを投稿してから,今年の1月28日に76本目となるブログをアメーバブログに投稿した間の各ブログにおける文字数の変化を時系列に従って表示したものです。(見えにくくてごめんなさい。グラフエリアをクリックしていただくと,拡大できます。)





「鍛地頭-tanjito-」のブログにおいての時系列に見る文字数の変化(折れ線グラフ)
図 時系列に見る文字数の変化―「鍛地頭-tanjito-」のブログの場合―




概観すると,ある時期を境に文字数が急激に増加していることが分かります。ただし,付言すると,





  • 2018.3.5から同年5.11はブログをお休みしていた期間です。

  • 76本のブログの中には,教育セミナーのコマーシャル用のブログを含んでいます。(「鍛地頭-tanjito-」の教育に関する思想を色濃く表現したものではなく,完全に営業に徹した内容です。)

  • リライトをした6本のブログが含まれています。ただし,リライトをしても複数のカウントを行わず,1本として計上してあります。

  • シリーズ化したブログが8種類あり,中にはオムニバス形式ではなく,1本の長いブログをたこのぶつ切りのようにしたものもあり,その場合でも,ぶつ切りの文字数をそのまま計上してあります。




など,非常に大雑把なデータですので,悪しからず。




もう少しだけ細かくデータを追ってみます。




b 投稿の頻度の変化



〔結論〕毎日,投稿しなくなった。




2018年の7月に入って,それまでまあまあ毎日のように,アメブロに投稿していたその頻度がガタンと減少します。原因・理由は次のとおりです。





  • 【物理的要因】西日本豪雨災害の影響:副塾長が被災しました。副塾長と私だけの復旧作業が始まり,通常の生活に戻れるまでに時間を要したのです。;「副塾長,西日本豪雨により被災!!  -「思い出」が〈思い出〉になってしまった-」(小桝雅典,当塾公式ホームページ,2018.7.20 09:06:02,4,972字),「「被災者」となって ―人の痛みと思いやりを知る―」(住本小夜子,当塾公式ホームページ,2018.7.27 13:55:44,4,653字)

  • 【思想的要因】当塾の経営に関する考え方の変化:とにかく,日々,「当塾の専門性に磨きをかけることだ。」と考えるようになりました。こうした考え方は,ブログの作成において,「量より質」を重視する考え方にシフトしていきました。当塾はまだまだ何かにつけて未熟ですが,「質の良いものを創り,発信していくためには,時間が掛かる。それは致し方がない。」「ブログの発信は,フォロワー,「いいね!」及びペタ数を増やすために行うのではない。当塾の専門性をさらに高めていくためだ。自らの思考(思想)を人世に問う必要がある。だから,発信するんだ。」と。




後者の「思想的要因」について,若干の補足を致します。前掲の折れ線グラフ「図 時系列に見る文字数の変化―「鍛地頭-tanjito-」のブログの場合―」に戻ってください。全く偶然なのですが,副塾長一家が豪雨災害に見舞われ,近辺の小学校に避難したばかりの2018年7月6日(金)の夜に,私は「「システム思考」と「主体性」ーいじめ問題と教師教育の視点に新学習指導要領を絡めてー」(小桝雅典,当塾公式ホームページ,2018.7.6 23:16:47, 7,191字)を投稿しています。この辺りから,私と副塾長の脳裡は,当塾に係る教育系相談及び教員養成という職種柄,自ら(当塾)の思考を鍛錬する(=専門性を高める)必要性に傾斜していきます。文字どおり「鍛地頭」です。




そして,その思いを強めながら,同年8月5日(日)に私の教員時代の実践を絡めた教育色の濃い「教師教育「先生,あの先生,授業に自信がないん?」―学習指導と生徒指導とは車の両輪の関係—」(小桝雅典,当塾公式ホームページ,2018.8.5 07:02:26,4,002字)を投稿(「いいね!」の数も急増)し,約10日後の8月16日(木)には当塾の業務を見直し,一新するとともに,公式ホームページを立ち上げ,「「鍛地頭-tanjito-」の業務内容一覧」(当塾公式ホームページ,2018.8.16 17:36:35,1,513字)を投稿しています。当塾の思想(思考)的(経営的)変化が業務内容の見直しと一新を迫ったのです。




つまり,上述した「物理的要因」と「思想的要因」とが相俟って,2018年7月以降,当塾は「ブログを毎日投稿する必要はない。それよりも,少しでも良いから質の高いブログを綴り,世に問おう!」と臍を固めることによって,毎日ブログを投稿しないように決めたのです。Googleの評価が下がっても良いから。




因みに,2018年6月1日(金)から現在〔2019年2月6日(水)]まで,平均0.6回/週の投稿です。





「余裕を持つ」の文字が大書してある木組みの看板の向こうで喧々諤々する4体の木組みの人間たち




c ブログの内容と文字数の変化-量より質-



〔結論〕ブログは「量(回数)より質」




「量(回数)より質」を貴ぶ当塾の思考は,ブログの内容と文字数に変化を巻き起こしました。前掲の折れ線グラフ「図 時系列に見る文字数の変化―「鍛地頭-tanjito-」のブログの場合―」で見ると,上述した「ある時期を境に文字数が急激に増加している」時期は,2018年9月7日(金)に当たります。ただし,ここでお断りしておかなければならないことがあります。2018年12月10日(月)に投稿した「「メンタルケアカウンセラー®」の資格を取得しました!!」(住本小夜子,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2018.12.10,2,194字)は副塾長の近況を報告したブログであり,また,2019年1月1日(火)に投稿した「「The パクるな!!」-オリジナリティーを求めて-(第2回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.1,2,735字)は「たこのぶつ切りシリーズ」のため,文字数が少なく,両者においてグラフもかなりの落ち込みを示しています。ただ,こうした理由を勘案すれば,2018年9月7日(金)以降,グラフの折れ線はほぼ右肩上がりを示していることが分かります。




さらに,次の8つの表(表1~8)をご覧ください。当塾のブログの「日付-タイトル(内容)-文字数」の関係を示したものです。





「鍛地頭-tanjito-」のブログにおいて教育色の濃いブログ群ーその1ー
表1 教育色の濃いブログ群ーその1ー





表2 教育色の濃いブログ群ーその2ー
表2 教育色の濃いブログ群ーその2ー





「鍛地頭-tanjito-」のブログにおいて教育色の薄いブログ群ーその1ー
表3 教育色の薄いブログ群ーその1ー





「鍛地頭-tanjito-」のブログにおいて教育色の薄いブログ群ーその2ー
表4 教育色の薄いブログ群ーその2ー





「鍛地頭-tanjito-」のブログにおいて教育色の薄いブログ群ーその3ー
表4 教育色の薄いブログ群ーその3ー





「鍛地頭-tanjito-」のブログにおいて教育色の薄いブログ群ーその4ー
表6 教育色の薄いブログ群ーその4ー





「鍛地頭-tanjito-」のブログにおいて営業色の濃いブログ群ーその1ー
表7 営業色の濃いブログ群ーその1ー





「鍛地頭-tanjito-」のブログにおいて営業色の濃いブログ群ーその2ー
表8 営業色の濃いブログ群ーその2ー




これらの表から読み取れることは,次のとおりです。




当塾のブログはそれらの内容により,3期に大別できます。





  • 第1期…営業職の強いブログ(表7,8)

  • 第2期…教育色の薄いブログ(表3~6)

  • 第3期…教育色の濃いブログ(表1,2)




この第1期から第3期の時間的な推移は,前述した当塾の思想(思考)的変遷とほぼ重なっています。





  • 第1期…起業したばかりでクライアントや塾生を何とか確保(集客)しようと躍起になっていた時期

  • 第2期…集客ばかりに気を取られていてはいけないのではないか? 当塾の専門性を磨き,実力を蓄え,足元を固めないといけないのではないのかと思考を巡らせた時期

  • 第3期…当塾の専門性を高めることに傾注している時期(現在)




それに伴い,当たり前と言えば当たり前なのですが,ブログの文字数は第1期から第3期へと漸次増加しています。各期の平均文字数は,次のとおりです。





  • 第1期…675.6字

  • 第2期…1,768.1字

  • 第3期…8,348.5字




第1期→第2期では約2.6倍,第2期→第3期では約4.7倍,第1期→第3期では約12.4倍と文字数は膨れ上がっているのです。勿論,文字数が増大すれば,ブログの内容(質)もそれに比例して良く(高く)なると言い切れるものではありません。「冗漫」「冗長」などの言葉もあるわけですから。




ただ,「質の高いブログを書こうとしたら,必然的に文字数が増大した。」




ということなのです。ですから,文字数制限のあるブログサイトでは,少々息苦しくなってきたので,文字数制限のないワードプレスに公式ブログ,BLOG「鍛地頭-tanjito-」を立ち上げたのです。




しかしながら,これは逆に当塾の文章作成能力の乏しさを物語っているのかもしれません。文字数の少ない(短い)文章で質の高い文章は,この世の中にごまんとあるのです。




ですが,ここで申し上げたいことは,




「質の高いブログを投稿しようとして,本当に毎日そうしたブログを書けますか?」




ということです。それができるブロガーはおられるのでしょうから,それはそれに越したことはないわけです。ですが,大変失礼な言い方になりますが,毎日ブログを投稿されている数多くのブロガーの皆様は,毎日,投稿されることに,実はかなり苦労をしておられるのではないのか?,と。嫌気を催されているのでは?,と。




では,なぜ毎日苦労し,嫌気を催してまで,それでも毎日,ブログを投稿されようとするのでしょうか? 




私は,ここに,「現代ブログ言説」の有する絶大なる権威性を見て取るのです。そして,それとともに,「現代ブログ言説」の有する絶大なる権威性,例えば,今述べた「 毎日ブログを投稿しなければならないとの呪縛(固定観念)からの解放を声高に申し上げたいのです。




※ 全てのブログが呪縛されていると申し上げてはおりません。




それほどまでに,「現代ブログ言説」の〈相対化〉が必要な時は,今しかないのです。




ビジネスには全く疎い私(当塾)です。偉そうに申し上げる立場にはありません。しかし,時代が「モダン→(ポストモダン→)トランスモダン(≒ポスト・ポストモダン)」へと揚棄しているだろう現実を垣間見るとき,「現代ブログ言説」の〈相対化〉は避けては通れない,インターネットビジネスを生業とする人達の大切な営為だと思うのです。





「SUCCESS(成功)」と「FAILURE(失敗)」を示す道標が立つ分かれ道
分かれ道1 成功と失敗(提供 photoAC)




次回は,愈々,「現代ブログ言説」の〈相対化〉に本格的に挑みます。「内容」,「書き方」,「投稿の仕方」,「一回性」及び「難解性」等,それぞれの言説を〈相対化〉できたらと考えています。う~ん,時代は〈相対化〉を《相対化》する時代。しかし,〈相対化〉しかできない私はアナクロニズム(ポストモダン)の虜なのか? それでもネットビジネス初心者,頑張ってみます。全ては個々人にとっての(あらゆる分野における)オリジナリティー形成の方向性を希求するためです。




よろしければ,またお付き合いのほど,よろしくお願い申し上げます。




→第4回につづく






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posted by tanjito at 12:06| 広島 🌁| Comment(0) | 塾長のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする